08/05/29 22:19:53 uhGpYbvA
>>191
だからそのカルトがいつも引いてる日蓮の遺文があるだろが。
>正宗
大日蓮H19.4月号より(勤行)
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大聖人は「我が己心(こしん)の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中
の仏性(ぶっしょう)、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。
賛へば能(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば
龍の中の鳥も出(い)でんとするが如し。
口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ」(法華初心成仏抄・御書一三二〇ページ)
「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らは滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や
有るべき。真実なり甚深なり、是(これ)を信受すべし」(聖愚問答抄・同四〇六ページ)
とお示しになり、また目寛上人は、大御本尊の功徳を讃(たた)えて、 「此の本尊を信じて
南無妙法蓮華経と唱うれば、則(すなわ)ち祈りとして叶(かな)わざる無く、罪として滅せざる無く、
福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり」 (観心本尊抄文段・日寛上人御書文
段一八九ページ)と仰せられています。
病を克服する信心を - 正林寺法華講員手引書
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「歓喜」という歓びを感じるところに仏界は涌現されます。 日蓮大聖人は『御義口伝』に、
「所謂南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり」(御書1801)
と仰せであり、『御講聞書』に、 「題目を唱へ奉る者は心大歓喜せり」(御書1844)