08/05/12 21:21:22
>>47
> 「法華経の名前」というものと、「法華経の内容」とはそもそも全く別のものでしょう。
> それを 「"正"法蓮華経」 というタイトルであったとしてもいはずでしょう、ということでも
> 言いましたね。あるいはもっと全く異なる名前であったとしても別に構わなかったはず
そうでしょうね、あなたの言うとおり必ずしも「南無妙法蓮華経」でなく、「南無正法華経」
などでも良かったのかも知れません。
ですが、「正」という文字をわざわざ入れる意味が見あたりません。
「妙」という言葉のほうが響きがよい、単純にそういう事も言えるでしょう。
鳩摩羅什訳の「広義の意味での」法華経がもっとも現存するサンスクリット写経に近い
ものであるといわれている、そして「妙法蓮華経」と訳されたのでしょう。
> そこに「罰」などという概念は入り込むことは無かったはずです。よくよく考えて無意味な
> 罪悪感からすっかり解放されることをお祈りする次第です。
人間には喜怒哀楽があります。人間だけじゃないでしょう、動物でさえ機嫌の悪いときが
あるくらいです。
酷く落ち込んだときに、「元気出せよ」「わかったよ!」と簡単にいくでしょうか?
自己暗示をかけても、身に染みついた罰論は理屈通りに抜けるものではないのです。
ですが、あなたのお気持ちには大変感謝する次第です。