08/03/24 18:19:10 BE:1094964285-2BP(0)
>>263
五時教判が恐らく登場したのは、ソレまでの既存の教えに対し
新しい考えが出てきたため、その優劣もありますが
相手を説得させる或いは伝える為に天秤にかけて説いた手法だったわけで
だから内容も吟味せず、ただそれだけでやったら
五時教判は釈門になって効かず返って原理主義の性質の悪いものに変貌してしまう
その辺については>>258で書きました
だからもし折り合いをつけるとしたら
経文に書かれている内容を読み比べていく 或いは その心を読み取る以外ないと思います
また、それが科学や心理学と符合するのか?自分の生活の実態に合うのか?
こういう要素も計算式として組まなければいけないような気がします