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譲信の実母・伊藤アヤ子は平成五年十二月十九日、日顕の七十一歳の誕生日の朝、大石寺
近郊の妙蓮寺(富士宮市下条六八八番地)境内で、全裸の変死体として発見された。死因は
凍死で、享年八十八歳。こんな不幸を尻目に、日顕は盛大な誕生パーティを楽しんだのだった。
この日は日顕の誕生日らしい異常気象で、その年で最も冷え込みが厳しかった。
凍死したアヤ子は明治三十八年二月十日生まれで、伊藤達道に嫁ぎ、四人の子供をもうけた。
長男が譲信、次男は伊藤瑞道(妙蓮寺塔中・蓮四坊住職)、長女・和子は元有明寺住職の斎藤宣謙
(故人)に嫁ぎ、次女・八恵子は福島・本法寺住職の鈴木経行の女房だ。
アヤ子は瑞道の女房の紀美子(小川只道の女房・和子の実姉)とは折り合いが悪かったことも
評判になっていたが、実に哀れだった。