08/03/13 03:11:05 HCFMrYiK
>>212
日子ちん、お久しぶり。
どっちかというとスポーツの面では、元々日本は個人競技の国だったんだよね。
剣道、柔道、拳法、相撲とか・・・。
でも例えば、国際球技になるとどうしても体格差とか、東洋人の身体的ハンデがあるから
個人技よりもチームプレーとか精神面に重きを置くには仕方ないかな。
弱者が勝つ方法として、細かい戦術を活用するといった方法は、ヒルマン監督が日本で学んだ方法をロイヤルズでやろうとしているね。
トルシエが取った方法も(ファンタジスタは要らない、とか)似ているのかな?
さて、日本って農耕民族だから、土地(人間関係)との関わりは重要で
悪しきぺナルティとして「村八分」という習慣など象徴的だよね。
「出る杭は打たれる」・・・とかも日本ならでは かな。
とうとう徳川の世では、檀家制なるものを導入し、
住民の相互監視を取り入れるとともに、宗教の“生命”を引っこ抜いた。
僧侶は冠婚葬祭の“職業”と化した。
そして御用宗教が、以後長らく日本の精神風土となった。
(余談だけど、一億特攻の「精神装置」として靖国神社が“活用”された…と分析する学者もいるね。)
そして現代、(良くも悪くも)みんながイメージする「宗教とはこんなもの」というのが出来あがっている。
「出る杭は打たれる」・・・、そういう意味では、
創価学会が挑んだものは、“既存の習慣”グループという精神風土との戦いだったのだろうね。