08/01/15 22:25:55 6b/NwOXJ
>>394
この問題は一般の問題と区別されなくちゃいけない。はずせないポイントでもある。
それはの問題が”宗教”であることです。
宗教は心の問題。だから結果も心に帰される問題です。心は客観的事実など
どうでもいいのです。(乱暴に聞こえるかもしれないが、いや暴論だという人の声も
聞こえる(笑))
本人が仏罰だと思念したならそれは”仏罰”なのです。
前にも書いたとおり、例えすっ転んでも”物罰”ととるかすっ転んだおかげで
目の前を通過したトラックに轢かれないで済んだ”と思うかは客観的事実ではないのです。
そのときの”心の思い”なのですからね。
宗教という心の問題は、本質的には客観的事実などというもので語られるべき性質のものでは
ないのです。