08/01/12 05:57:05 OHSkh7jv
(>>252からの続き)
その人が宗教家であり(職業)画家でもあるような場合は、(何らかの)神からその才能を授り、
それで生計を立てているという意味で「天(神賦の)職」と表現しているのであろうということになるだろうね。
その人が無神論・無宗教者であり絵は描くもののそれで生計を立てているわけではない場合は、
自然の中で他者・他物から影響を受けて(謂わば生得的に)備えている性質や才能を発揮しているという意味で
「天(自然から与えられた)職」と表現しているのであろうということになる。
ネット上のお絵かき掲示板のようなところで無心論・無宗教者が絵を描きつつお金ももらわず
「天職だと思います」とコメントしても、それは特におかしなことではないよ。それに対して
「オマエはお絵かき掲示板で絵を描くことで生計を立ててるわけか!」とか「無神論者のくせに
神の存在を肯定するなんておかしいだろ!」とか非難する方がおかしいわけさ。
絵ではなくて音楽であろうと論述であろうと、この論点においてはたいして違いはないわけだよ。
>それに、自然に「与えられた」、という言い回しが、すでに「自然」を超常的なポジションに置いている。
>そうでないなら、「自然にそうなった」あるいは「何となく」と言えばいい。
語弊がまったく無いとまでは言わないけど、「与える」というのは他者・他物に何らかの影響を
及ぼすことも意味するから、その意味でならそんなに語弊はないよ。
「天職」と表現したからといって必ずしもキリスト教的な創造主(や、その他の洋の東西を問わない
宗教概念も含めて)から与えてもらった生計を立てる為の職業を意味するわけではないんだよ。
>ヲタも「天から与えられたんだ!」って言い張ってるんだよ。
だから、その「天」は(この場合は)自然を意味するわけさ。(この場合は)超自然的存在だと
解釈するのは妥当ではないんだよ。