07/09/12 20:12:09
>>731-733
そうかもしれませんね、実際のところは土方歳三、本人に聞いてみなければ分からないことですが、
土方も攘夷派という話しもあるようですから「外国に占領させないため」や
「無血開城を決断した慶喜公や勝海舟の面目を立てる」とか、他にも理由は考えられるかもしれません?
しか~しw!
1、薩長同盟が締結される以前、幕府・薩摩・長州では「薩英戦争」や「幕長戦争」などがあったこと。
2、新撰組は、孝明天皇がご崩御されるまで、「池田屋事件」など市街戦を平然と行っており、むしろそれを得意としていたこと。
3、意見の対立から永倉・原田らは甲陽鎮撫隊(新撰組)から抜け、「彰義隊」ではなく「靖兵隊」を結成したこと。
うち無鉄砲な性格であった原田は、妻子に会いたくなってしまい「靖兵隊」を抜けたようですが、
京都に戻る途中の上野で、「彰義隊」を見て、感極ったのか助太刀したのでしょう?
(そのときの傷が元で原田は死んだという説と、中国へ渡って馬賊になったという説がありますよねw)
(また戦後、長倉は近藤・土方の墓碑を立てるなど、意見が対立したにも関わらず、晩年まで両名をとても慕っていたようです)
4、土方の性格について、冷酷な人物とされる一方で、「温和で、母のように慕われていた」といった話しも聞かれます。
5、会津では、土方ではなく、斉藤一が指揮にあたったと思います。
6、榎本武揚は国際法に精通しており、「蝦夷島政府」を立ち上げることにより、
国際法上の「国内紛争」として扱わせることにより、占領される危険を抑えられると考えていたようです。
しかし、日野の百姓出身の土方に、そこまで知識があったとは思えません。
以上の理由からも、俺は「鬼の副長」を信じますよ!(おっしゃる通り俺はバカかもしれませんがねw)