09/05/15 03:57:50
>>897
密厳院の墓の話題はペン以外にも他の本の作者も取材しているし
密厳院の喜田啓照住職にも取材されてコメントも取られているのでガセとは思いがたい
「デマ」っていうソースください。
大田区大森北の真言宗八幡山密厳院の関係者の話を思い出した。
「ある日、池田さんのお兄さん(増雄)が密巌院さんに
『弟(大作)がご承知のような状態(立場)ですので、母の一の葬儀はこちらではできません』といってきました。
で、一さんが亡くなったとき、密巌院さんは何もしていません。そのしばらくあと(七五年ごろ)、
増雄さんが今度は『父親(子之吉)の骨を分けてくれ』といってきました。
密巌院のご住職は、たぶん創価学会のお墓にでも移すんだろうなと思ったけれど承知なさったそうです」
もしかしたら増雄は弟・大作の依頼を受けて動いていたのかもしれない。が、子之吉の墓を密厳院から撤去するというわけではなかった。
それどころか - 密厳院の喜田啓照住職によると、
「増雄さんが死に(八七年一月)、まったくおつきあいがなくなっていたのですが、
最近、増雄さんの息子の一雄さんが盆暮にはお菓子などをもって挨拶にきてくださるようになりました」
一雄は創価学会員である。が、子之吉の墓を一般世間並みに維持していたのだった。
大作の父・子之吉は生前、創価学会(日蓮正宗)とまったく関係がなかった。
だからこそ、いまなお学会からみたら邪宗の真言宗の密厳院に墓があるわけだし、
また、喜一は弟・大作の戸田城聖との出会いや日蓮正宗入信(四七年八月)の約二年半も前にビルマで亡くなっている。
[池田大作・金脈の研究] (第三書館・野田峯雄)