創価学会員唱題時間体験報告スレ【避難所】at KOUMEI
創価学会員唱題時間体験報告スレ【避難所】 - 暇つぶし2ch811:◇福耳◇
07/12/31 17:03:18
◆本年最後のレスにあたり、皆様に御礼申し上げます。
閲覧の同志ならびに諸氏、運営の皆様にも、ご理解ご協力感謝致します。
 さて、新年を迎えるにあたり友人各位の皆様には、以下過去レスをご一緒にふりかえり、
新たな決意を持って歩んでゆいこうではありませんか。

■官僚主義は、人間から魂を奪う。 学会の草創期は清流の時代だった。それでも官僚は存在した。
参謀室の足を引っ張り続けた理事室である。 
池田先生の著書『若き日の日記』をひもとけば、その一端が窺える。( >>748 参照 )

■先生は、文字通りたった一人からの大闘争であった。全く光が見えない位置からのスタートだった。
しかし、先生の一念には広々とした世界広布の緑野が描かれていた。
その先生の一念が今や現実の姿となって現われている。いかなる不可能をも可能にする人間革命の余りにも熾烈なドラマであった。
これこそ、どのような時代になろうとも絶対に忘れてはならない“創価の魂”である。
( >>640 ~ >>644 参照 )

以上、閲覧の皆様のご健康とご多幸をご祈念しつつ。
   

812:平和創価
08/01/02 20:15:25
>>811
本当にそうですね。名聞名利に毒されて信心を失った人は大勢いますからね。

813:平和創価
08/01/02 20:20:47
やはり、唱題第一、信心第一ですね。信心と仕事が融合している状態を、いかに継続させるかですね。

814:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/02 20:25:03
国会追求で、今年の創価大入学志望者が・・


牙城崩壊w

815:平和創価
08/01/02 20:29:00
今日は先生の80歳の誕生日ですね。

816:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/02 21:27:20 QVjtONEi
URLリンク(ndsk.net)

817:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 02:11:07
としと

818:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 02:11:49
耳も間はにら

819:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 02:12:27
乗りのりに栗

820:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 02:12:58
ナノなの

821:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 02:13:31
荷に利まり

822:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/04 14:05:20
パート23がたっているからあっち行って書き込みしようぜ。

823:デタラメ君です。
08/01/04 19:49:17 0dgeed51
新入会員さん、幸耳氏、福耳氏、祈祷師氏、そしていつかの529さん、他のここを
ご覧の皆さん、

   新年、明けまして おめでとうございます。

    昨年は皆さんの書き込みにより得ることの多き年でありました。
 
  これは一重に皆さんの慈悲によるものであり、感謝の一言以外に言葉はありません。

本年度は「人材・拡大の年」、昨年の皆さんのご意見、又激励を心に刻み、現実での世界での挑戦の年
と決め、内部の境涯革命を心見たいと思っております。どうかこれからも皆さんの身の周りの出来事など
なんでも書き込んで、それを糧としていけるスレのしていきたいと思いますので宜しく、お願いします。

824:師匠は日蓮大聖人
08/01/04 21:51:00
>>809>多田省吾さん(元公明党副委員長)と山口康宏さん(初代文京支部長)である。

その山口さんは、60才前にして 突然の死。多田省吾さんも奥さんの多田時子さんとともに
すでに死亡。師匠だけヌクヌクと わがまま放題でブクブク太り80歳まで自己保身の人生。

外向きの姿と内面は違い、福耳君の講演引用は、代作にしても自己宣揚の偉人化伝説。

実態は、自分を守れ!代作の為の奴隷になれ!人を殺せと言ったら殺せるか!
地獄に師匠が行くのについてくるか、エゴイストそのもの。

日蓮大聖人の生き様とは天地の相違。大聖人に破門され除名されたのは当然至極。


825:師匠は日蓮大聖人
08/01/04 21:53:09
>>806>深淵(しんえん)の底から、偉人達が発した光は何だったのか。

「絶望の淵より甦る」原島崇著 がその体験を書いたものでしょう。
せめて代作にすこしの反省心、すこしの信仰心があれば、こういう
懺悔録を出せるのでしょうが・・・

 日蓮大聖人どころか弟子たちにも劣る代作を指導者と錯覚して
いては、日蓮大聖人の信仰は貫けないでしょう。
ましてや、日蓮大聖人という主師親三徳具備の宗祖をないがしろ
にして天下取りに狂奔し、弟子を地獄の道連れにしようとする
代作が師匠であるはずがありません。
 師と錯覚してる人は、地獄にダイッサクが行くなら、救ってあげる
のが弟子の道ですから、救ってあげましょう。忠言することです。
 私も地獄へついて行きますというのは、面従腹背の似非信仰者です。


826:◇福耳◇
08/01/08 22:13:42
■新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 先生が80歳を迎えられた。今この瞬間に、師と共に存在する不思議を思う。
師を頼み、師に寄りかかり、師に甘えるエゴを省みる。
 
師亡き後に、立てるか否かを問う。
その時、組織で成すべきことの意味を知るだろう。
信心即生活、仏法即社会こそ、信心の王道だ。

 釈尊亡き後も、大聖人亡き後も、教団が分断している歴史の現実がある。
多くの門下生が右往左往し、【官僚】と【戦士】が判別されることだろう。

『一将功成りて万骨枯る』・・・師匠に対する功を貪る“組織の寄生虫”となる官僚。

私の嫌いな創大生が(笑)、“民衆厳護の要塞”となるか、あるいは“官僚育成機関”となるかで、学会の命運が決定する。

 私は、官僚という官僚に鉄槌を下しながら、道を進むだろう。
そして、師亡き後になって初めて、「師弟共戦」の意味を知ることになるのだ。


827:◇福耳◇
08/01/08 22:37:06
●創価学会の誉れの伝統精神
徹底して現場の声に耳を傾け、一人ひとりのために真摯に行動し抜く
―ここに真実の指導者の姿がある。私は、戸田先生の戦いにそのことを学んだ。
 戸田先生はよく質問会をもち、悩みの人の声を丁寧に聞いてくださった。当時、本部の会長室にまで、多くの会員が指導を受けに来ていたものである。
一人ひとりの苦悩や課題に対し、先生は常に明確であられた。即座にわかりやすい言葉で回答され、温かく包容された。
真心の励ましで希望と勇気を与えられ、会員はそれまでの苦悩がウソのように晴れ晴れと、強い確信に満ちて帰路についていった。
悩める庶民に対して、どこまでも真剣であり、誠実であられた。ここに創価学会の誉れの伝統精神がある。
 ゆえに会員に対して、いい加減な態度で接したり、傲慢に振る舞うような幹部は、この尊い伝統を破壊する「悪しき人」に他ならない。
どうか皆さま方は、苦しむ同志に対して、ある意味でその人以上に悩み、考え抜く、「同苦」の心で誠実に激励していただきたい。

【第24回本部幹部会 池田名誉会長スピーチ 1989-12-20 創価文化会館】


828:◇福耳◇
08/01/08 22:38:50
…が、しかしだ

■最前線で戦う学会員は、本当に善良な方々が多い。一方、幹部はといえば、勘違いしている連中が多く、仕事もしてないクセに踏ん反り返っている。
まともな幹部は、10人に1人もいないだろう。舎衛の三億に照らしても、せめて3分の1程度がしっかりすれば、組織は牽引できる。
 
 組織のあちこちに歪(ひず)みが生じているのは、「一人の悩みを解決できない」ことに起因している。
自分の手に負えない問題を聞くと、「とにかく祈っていこう!」「とにかく先生に応えていこう!」「とにかく頑張ろう!」という馬鹿げたアドバイスをする幹部が多い。
「とにかく」の一言で、相手の悩みを無視しながら平然としている。
まるで、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)だよ(笑)。
面倒なことは、「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」。
 
 西山昭彦氏の著書『スーパーサラリーマンは社外をめざす』(読売新聞社:絶版/1996-05-07発行)で日本企業を蝕む病への指摘は鋭く、学会を蝕む問題と酷似している。
組織内部に費やされるエネルギーが大きいため、外に目が向かなくなっているのだ。エネルギーというよりは、負荷といった方が適切だろう。
「集まる」こと自体が戦いと化し、指示があった時だけ、思い腰を上げて友人のところへ向かう―そんな会員ばかりをつくってしまってないか?

これが、どれほどおかしな事態か理解する人は少ない。歩兵が将軍の方を見つめながら、後ろ向きで敵陣を目指しているのだ。
あるいは、大地を割って登場した地涌の菩薩が、たむろしたままどこにも行かないような姿だろう。
挙げ句の果てには、地面の中に引っ込むのもいるよ(笑)。
 今はね、まだいいんだよ。先生がいらっしゃるから。問題は、先生亡き後だ。


829:デタラメ君です。
08/01/08 22:45:27 Ry4Qf5pB
>>福耳氏

あけましておねでとう御座います。本年一発目から笑ってしまいました。
癒し系はいってませんか?いい感じですよ!。

830:◇福耳◇
08/01/09 01:12:33
■日本企業を蝕む病
 >>828でも触れたが、私が日頃実感していることが、的確な言葉で綴られている書籍を見つけた。既に絶版となっているので、引用しながら、個人的な所感を記しておこう。
引用は全て、『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦(読売新聞社:絶版/1996-05-07発行)より。
 西山氏は、中間管理職のアンケート結果を踏まえた上で、「過度の社内サービス、内部調整、人脈づくり、社内情報収集などが起こり、付加価値創造に結びつかないエネルギーが過剰に費やされる状態」が企業に蔓延していると説明する。
つまり、本来であれば、会社の業績を伸ばすために注がれるべき社員の力が、強制的な飲み会や資料作りなど、無駄なエネルギーとなって浪費する現状に陥っている。
「日本企業を蝕む病」として指摘されているのは、以下の6項目。

【西山】 まず第一に、経済が大きくなるのに伴って企業も大規模化し、組織も複雑になり、人も増えた。その結果として、内務官僚型の人材が輩出されてきた。
一時期、社長室、企画室などといった内部の調整をする部門があたかもその会社の中枢であり、エリートであるとみなされる風潮があった。
ここにおいては、現場第一線で利益を上げる者、またコストを削減する者よりも大規模組織の上に乗って各部門の利害を調整していく、上司のQ&Aに適切に答えられる、資料の作成がうまい、会議の進行がうまいといったコーディネーターが評価された。
調整能力が重視され、調整型社員がエリートであるとの認識が組織に蔓延したのである。

■これは全くその通り。社長室には第一庶務が該当。随分とえばり腐った人物もいた。
また、本部職員の大半は、組織でのトラブルを避ける傾向が顕著。そして、調整型の幹部が増えた最大の原因は、婦人部の苦情であると私は考えている。
婦人部内でしっかりと指導するべき問題までが、上へ上へと伝言ゲームのように伝えられ、壮年幹部が戦々恐々としている(笑)。


831:◇福耳◇
08/01/09 01:15:16
【西山】二番目は、それを受けて、組織を見た場合に、本社と支店、工場といったものの中において、本社の位置づけが非常に高まったことである。
顧客に向かって組織が配列されるという状態ではなく、むしろ本社に向かってすべての社員が隊列をなしている。
支店は本社に厳しく管理されるが、本社をチェックする部門は会社の中に存在しなかった。
地方に行くのが左遷であるなどという見方が生まれた。だれもが本社に行きたがり、居すわりたがった。
また、その本社の中を見ると、経営者を頂点として上を見ながら仕事をするという、内向け、上向けの社員、組織の体質が醸成されてきた。

■詳細を書いてしまうと、完全な組織批判となるため、やめておこう(笑)。現場の意見が尊重されない人事を行っているところは、かなり危ない。

【西山】第三に、モノ・サービスをより安く、より高い質のものを供給するという使命のもとで、社員には、異質性よりも均質性が求められてきた。
また、発想力豊かな異端児はできる限り排除して、協調主義、集団主義で組織の運営を図ろうとしてきた。
そのために人材は、新入社員の採用をあくまで基本とし、これを会社の風土によって染め上げ、また、出っ張ったところを削り取り、同質型の人材をつくってきたわけである。
これをベースとしたのがQCであり、TQC(総合的品質管理)運動であったと思う。それは、モノ・サービスの品質を統一しながら、同時に人材の品質も統一してきたところに問題があり、結果として、創造性の発揮とは対立する結果をもたらした。

■私が最大の問題と考えているのが、これ。人材が台頭してこない最大の要因。幹部は一様に保守化。草創の学会にあっては、参謀室が革新の一翼を担っていた。
理事室という守旧派が、参謀室のやることなすことに反対してきたのが歴史的事実だ。>>748>>811でも触れた。


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