07/02/11 01:37:15
>>120 さん
「仏罰は あなたの こころの なかにある」
私は仏罰など信じてはいませんが、もしあるとするならば、そう思う人の心の中にこそ
仏罰はあるのでしょう。「思い込み」と言い切ってしまうとネガティヴな印象がありますが、
それが誰かによって下されるものではなく、自律・自戒・自制・自省などのための一種の
(あくまで自主的な)考え方として持つ分には、非常に有意であると考えることもできます。
サルは一般的なヒトが考える以上に高い知能を有しているそうですが、もしサル自身が
そのような考え方をすることが出来ているとするならば、それは仏罰なのかもしれません。
プラナリアの分裂は果たして「至高の悦楽」なのか「究極の苦痛」なのか。
そしてプラナリアの(感覚ではなく)"生命"は、それをどのようにとらえているのか。
まったくの無意味な妄想ですが、たまにはそんなことを考えてみるのも面白いですよ。
言葉のイメージを利用したり、人に押し付けたりするから話がややこしくなるだけです。