07/01/10 14:17:20
>>96 ecoさん
>今は創価学会を辞めているんだっけ
→私を初め、多くの法華講員の共通した認識というのは、
若き日々、または、幼き日々に決意したことを止めたくなかったから、
そのままの信心を続けているのです。
私が学会員のころは、
「如何なる場所、ときであろうと、勤行だけは必ず行う」という不文律がありました。
たまたま、友人と外で遭い、夜遅くに、友人宅に行ったときも、
勤行だけは、必ず行う、というのが、どちらから言い出すまでもなく、ありました。
そういった、「何が何でも続家る」という決意が、自分の中で、ふぉれだけ大きな力に
なったかしれません。
「一つのことを続けてきた」という誇りが、自分を支えてくれたのです。
ですから、創価学会が偽(御)本尊を作り、勤行もいい加減なものにしたとき、
もう、何の未練もなく辞めました。
確かに、本尊や勤行の形式というものが、日蓮大聖人御在世以来、何の変化もない、
とはいえません。宗門が如何なる過ちも起こさなかったとはいえません。
しかし、創価学会こそが、特に、戸田先生が「針金宗」といわれた日蓮正宗の化儀を
守り、実践することを誓ったのです。
私を初めとする多くの法華講員は「一度決意したことを守り抜く」という美学に、従ったのです。
池田先生のように、「雷が恐くて、思わず唱えた」(小口偉一インタビュ-)とは、違うのです。