07/01/08 00:50:10
池田先生が平然と語る「言葉の二重性」は、元々、日蓮正宗の教学解釈
に影響されてるのかも知れません。
すなわち、「日蓮大聖人は末法の御本として自覚されていたが、実際は、示同凡夫としての
立場から、直接、そのことは示さなかった」というものです。
筆者は、それは正しいとは、思いますが、創価学会が盗用するのは、如何なものでしょうか?
新人間革命14巻 烈風の抄では、次のように語っています。
『名声や見栄などにとらわれた、虚像の幸福観を捨てて、自身の人間革命を成し遂げ、
社会に大きく貢献する栄光の人生の闊歩をーーと呼び掛けた指導であった』
(゜Д゜)ポカーン
89:yuriko
07/01/08 00:56:35
訂正>>88
>「日蓮大聖人は末法の御本として自覚されていたが、実際は、示同凡夫としての
立場から、直接、そのことは示さなかった」というものです。
↓
「日蓮大聖人は末法の御本仏として自覚されていたが、実際は、示同凡夫としての
立場から、直接、そのことは示さなかった」というものです。
90:yuriko
07/01/09 16:15:55
故 藤原弘達氏は、池田先生の人と成りを評して、
「法華経を持ったヒットラ-と言ったそうです。
私が会員だったときは、「何と言う的外れ!」と思ったのですが、
今から思えば、奈留程鋭いと思います。
また、弘達氏は、
公明党と自民党の連立を正確に予言していました。
今や、「保守独占体制」が完全に固定化してしまい、
ある意味、より危険な「思想、宗教統制」が現実に起こってしまいました。
公明党が永久与党(たとえ、民主党が政権を取っても、公明との連立なしに、政権を
維持できない)という地位を獲得してしまいました。
それが、民主主義にとって、如何に危険な事態なのか、
まだ多くの人は気付いていません。
91:れいな
07/01/09 16:19:26 v/17r44k
日蓮正宗の信仰とはどのようなものか?
創価学会のように、
① 成果、成果、成果の点取り虫でしょうか?
② ご供養とは何か?
③ 化儀抄とは?
毎日、毎日、「会合」「座談会」、「選挙活動」、幹部ともなると、深夜まで「会合」ですね。お疲れ様です。・・・このようなことは「勢力拡大」のために本部が仕組んだねずみ講組織なのです。
あなたは学会に利用されているだけです。
あなたが活動をすれば、するほど、得をするのは「一部の大幹部」のみ、ということです。
日蓮正宗の信仰とは、そのようなものではありません。学会のカラーから抜け出し、毒を出し切り、宗門に復帰して私達と一緒に正しい信仰をしませんか?
皆さん一緒に勉強してみませんか?
URLリンク(dakkai.org)
URLリンク(dakkai.org)
92:yuriko
07/01/09 16:34:27
91 れいなさん
>日蓮正宗の信仰とはどのようなものか?
れいなさん、書き込みありがとうございます。
れいなさんが新しく立てたhpをみました。
「金沢法難の地を訪ねて」です。
感動しました。
私は、一度も金沢に行ったことはありません。
是非、訪問してみようと決意しました。
93:yuriko
07/01/10 07:18:14
(池田大作)「いつの日か、関係者の方にお詫びしたい」(本部総会 昭和45年5月3日)
殊勝気にこんな言葉を吐き、会場の学会員達は自分達の指導者の謙虚さに胸を熱くした。
過日、藤原弘達氏と月刊誌「現代」の対談で十九年ぶりにお会い出来て、事件の非礼をお詫びした。
その席で池田の話題となり、私は氏へ一つ質問をした。
「池田は謝るといっていましたが、先生のところへお詫びへ行きましたか」
「来やしないヨ!池田の公式の表明ってのは全部ウソだからな。ヒットラーでもこれだけのウソはいってないよ」
「ぼくは並の宗教専門家などよりも創価学会をよく知る人間だと自負しておるけれども、
そういうぼくがつくづく不思議に思うのはだね、創価学会の幹部連中及び一般会員というのはいったい何を考えとるのかsってことなんだな。
だって、あなた、常識的にみて池田大作という男は大嘘つきであり、自由な言論の妨害者であり、
宗教を野心達成の手段に使うペテン師であるわけだ。そういった人間であることを暴露するような事件や
スキャンダルを、すでにいくつも起こしている。
にも拘わらず、池田大作は依然独裁者であり続けておると、そこんところがどうも納得いかねえんだなあ。
創価学会の連中は一体何やってんのかね」
(池田大作の素顔by藤原行正)
94:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 08:10:55
>>87-88
成る程ね~ 結果的に3つの壁が出来てしまった
否、ありとあらゆる壁が出来てしまった 処でしょうか?
池田大作と創価学会との壁 幹部との信者の壁 正宗と創価学会の壁
ところがこの壁の合間を縫う事も考えられるので
これを杓子定規と当て嵌めるのは、私自身如何なものか?と考えますが
概ね こんな感じだと思います
95:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 08:23:30
複雑なパズルを組まされているなぁ・・・
やっぱり・・・異体同心は不可能ではないが
それが果たして良い物なのか如何かは、判断が出来ない
何故なら、各々、違った世界観を持っているので、それを無理矢理やると
共産主義的、しかし、バラバラにして自由奔放に暴走しても
結局、弱肉強食になり、同じ結果を生み出してしまう・・・
↑ ↑ ↑ ↑
これは別に直接的な暴力だけとは限らない、弱の世界にも力がある
人間の場合 それで成り立っている いわば知の力 智慧の力
それは勿論マインドコントロール 所謂、洗脳も含まれるでしょう
96:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 08:27:00
処で、yurikoさんは 今は創価学会を辞めているんだっけ・・・
差障りがなければ、引き金になった原因を伺いたいのですが
個人情報なども含まれるから難しいかな・・・
ただ、気になる
97:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 08:46:34
>>96
>>難しいかな・・・ → 難しいなぁ・・・(´・ω・`)
やっぱり、文字媒体は自分の感情を表現するのが難しい
だからと言って絵文字の乱用は、物凄く嫌いなんですよ
返ってそれが原因で相手に伝わらない事も多いし
読み手にとっても 苛々する時がある
それでも、文章って不思議なもので
書いている人の性格が顕れたりもするんですよ
それに気付いている人も知り合いには居る
98:yuriko
07/01/10 11:44:58
福島源次郎「蘇生への選択」
『三年過ぎた五十七年、その当事者の一人であった原田副会長(当時)が、
「北條会長の生前のノートなどの資料を詳細に調べていくなかで、宗門問題を引き起こした元凶を
福島さんだと考えていたのは明らかな間違いであることがわかった。申し訳ない」
と私に陳謝しました。(4/28 文化会館で)
しかし当時の私に侮辱ともいえる暴言を吐いて詰問した他数人の幹部は、謝罪どころか
一言の挨拶さえすることなく、今日に至っています。
克明に綴っていた当時の日記を今、読み返してみると、真剣な反省と自分への呵責が滑稽な程
的外れであり、無用の煩悶を重ねていたことが伺われ、愚かに過ぎた「純粋」さに自己嫌悪さえ感じます。
そして特定の人間に泥を被せて行く学会本部の問題処理の姿勢が、今も当時もいささかも変わらぬことに、
改めて驚かされます。』
99:yuriko
07/01/10 14:17:20
>>96 ecoさん
>今は創価学会を辞めているんだっけ
→私を初め、多くの法華講員の共通した認識というのは、
若き日々、または、幼き日々に決意したことを止めたくなかったから、
そのままの信心を続けているのです。
私が学会員のころは、
「如何なる場所、ときであろうと、勤行だけは必ず行う」という不文律がありました。
たまたま、友人と外で遭い、夜遅くに、友人宅に行ったときも、
勤行だけは、必ず行う、というのが、どちらから言い出すまでもなく、ありました。
そういった、「何が何でも続家る」という決意が、自分の中で、ふぉれだけ大きな力に
なったかしれません。
「一つのことを続けてきた」という誇りが、自分を支えてくれたのです。
ですから、創価学会が偽(御)本尊を作り、勤行もいい加減なものにしたとき、
もう、何の未練もなく辞めました。
確かに、本尊や勤行の形式というものが、日蓮大聖人御在世以来、何の変化もない、
とはいえません。宗門が如何なる過ちも起こさなかったとはいえません。
しかし、創価学会こそが、特に、戸田先生が「針金宗」といわれた日蓮正宗の化儀を
守り、実践することを誓ったのです。
私を初めとする多くの法華講員は「一度決意したことを守り抜く」という美学に、従ったのです。
池田先生のように、「雷が恐くて、思わず唱えた」(小口偉一インタビュ-)とは、違うのです。
100:yuriko
07/01/10 14:24:48
そういった、「何が何でも続家る」という決意が、自分の中で、ふぉれだけ大きな力に
なったかしれません。
↓
そういった、「何が何でも続ける」という決意が、自分の中で、どれだけ大きな力に
なったかしれません。
(続)
しかし、創価学会こそが、特に、戸田先生が「針金宗」といわれた日蓮正宗の化儀を
守り、実践することを誓ったのです。
私を初めとする多くの法華講員は「一度決意したことを守り抜く」という美学に、従ったのです。
池田先生のように、「雷が恐くて、思わず唱えた」(小口偉一インタビュ-)とは、違うのです。
101:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 16:13:30
>>100
要は、今の創価学会は「腐っても鯛」と言う言葉がお似合いなのでしょうか?
その部分は否めないと思います。 しかも手遅れだし
元に戻すのも大変だよ 本当に・・・
ただ、家の場合とは逆のケースになってしまったのは皮肉な話です。
辞めなかったのは、家の母親曰く
「御書通りの事を正宗側が実際やっていないし指導していない」と考えていたようで
「学会も学会で振り回され ちぐはぐになってしまうんだ」と
破門される前から言い切っていたようです
因みに、家が創価に入る前は仏立講もやっており
経文の意味や
(真言のお経も読めるらしい)それが解かっているみたいです。
だから入信して間もない頃に教学の1級をあっさりとってしまいました
今は、あまり勉強していないけれどね
それで結局、破門された後も創価に残り
現在に至るわけですが
ただ、最近は、その人間性を良く見つめていたせいか
聖教の4面記事や幹部達の指導にも かなり不満を抱いていたのも事実です
その部分に関しては 2ちゃんねるの人達が語って居るので
別に言わなくても良いでしょう
その為、創価学会に対しては一括りに見れない為か
概ね>>94みたいな見方をしているのが現状かと思われます
(最近は、ゆっくり話す機会が少ない為
母親が最近の創価について如何思っているのかが解からない)
102:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 16:43:01
yurikoさん、いつも貴重な情報有り難うございます。
一つ質問ですが、友人宅にご本尊がない場合とか、旅先のホテルの場合はどうされますか?
無宗教者の想像ですが、大石寺の大御本尊さまの方に向かって唱題するのでは、と想像するのですが。
有罪が確定した矢口涼子夫妻は、拘置所の中でどのように唱題されたとお思いですか?
103:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 17:01:30
>>102
私が答えるのも何ですが・・・
>>大石寺の大御本尊さまの方に向かって唱題するのでは
それが正解です
厳密に言うと久遠元初自受用法身如来の御当体に題目を唱えるのです
因みに戸田先生は曼荼羅無しでも悟りました
従って本来、曼荼羅は要らない筈なのですが
ただ、ココの部分が非常にややこしい・・・
戸田先生は「作ってはいけない」と言っただけで
このようなケースまでは
さすがに計算に入れてなかったようだしなぁ…
因みに曼荼羅の書式は富士宗要学全集の
第一巻「相伝編」に意義を含めてが詳しく書かれている
この本を読みきらないと、正直、答えきれない
104:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 17:16:14
どうも、ありがとう御座いました。
105:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 17:27:53 1gMp+ooC
>>103
>因みに戸田先生は曼荼羅無しでも悟りました
別に議論するつもりもないが、
生半可な教学をもとに
いいかげんなこと垂れ流さないように。
学会がもともと信仰していた正宗の教義では、曼荼羅正意だ。
しかも、それ(戸田先生は曼荼羅無しでも悟りました )は、
勝手に人間革命で「獄中の悟達」という
読み手が誤解を生じる、教義に悖る表現をしたのが元で
そのことは通称52年路線といわれる教義逸脱問題の際
指摘された上、行き過ぎた表現であったことが確認されている。
そもそも三大秘法ってなによ?
106:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 17:33:47
そうだ!
戸田城聖氏と池田大作氏は師弟不二だと創価では言っているし
本人も言っているけれど、違う部分が一つだけあった!
それは戸田城聖氏が元々数学者で、数学の先生だったという事
ソレに対し池田大作氏は文学者で小説家志望だったという事
しかし、この差が、結局、会員の指導に対し 大きな差や歪を生んでしまった
即ち、戸田先生は代入値入れて方程式を組める事が出来たので
それだけに 説得力が大きかったんですよ
また、ちゃんと頭に中で計算式を組み
その計算に基づきながら説明する事ができたんです
だからオカルトめいた事も合理的に説明ができる人なんです
また、色々な意味で
日連大聖人の仏法を体得する事が出来たし合理的な説明も出来た
そして御山に対しても強く主張する事が出来た
その結果、妙観講だって牧口氏や池田氏はぼろ糞に言っても
戸田先生の存在だけはどうしても否定出来ないでしょう。
だから以前、本尊を焼いたスレで、科学的云々という観点から
その仏法について語り納得させる事が出来るのは
戸田先生と、もう一人、全ての文献に目を通し
日連大聖人の仏法を理解した堀日亨上人しか居ないと
その時は書いたのです。
107:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 17:40:03
>>106のつづき
ソレに対して受身の池田氏は其処まで到達が出来ず、計算式が組めなかった
池田氏の考え方は意外だが二進法なんですよ
二進法なのですが、計算式の組み方が下手糞で
ちゃんとした式が立てられないし おかしな答えが出来てしまう
だからオカルトめいたことは合理的に説明ができず
その影響が会員たちにまで及んでしまう
但し、それは池田氏だけの話ではなく、他の弟子達にも言える事だったのです
だけど数学の世界は面白いよねー 帰納法のように見えるけれど
実は演繹法でもあったりもする 方程式は当にその典型でしょうに
>>105
そうですか?
しかし戸田城聖氏著書の人間革命でも同じ事が書かれていましたよ
口決相承の事が・・・
本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目でしょ それが何か・・
戒壇については日達上人が説明した筈ですよ
池田氏に誑かされてとは言わないでくださいね
それを否定すると今度は田中智学に負けた事になるので・・・
108:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 17:40:56
>>99-103
この対話読みこたえがありました。
地方の学会員の多くの人が、御本尊を取り替えることになりましたと
言われた時は、一瞬息を呑むような選択を迫られましたが、当然の
ような地域患部のふるまいに交換に進んだように思います。
私ども地方の人間にとっては両親が(母=日蓮正宗と父=創価学会)
が離婚して悪口・誹謗中傷を言い合っている。その中で信者(子供)
は、どちらかにいるものの、両方とも親だしと言う心境になる。
あなたの親権は私の方ですと大喧嘩している、形はもう再婚は
ありえないほどになっている。昔御山にいけてたほうがすっきり
している。信仰心はあるが、日顕を祈り殺すとか、四面記事には
ついていけない。ある平均的な学会員の心境です。
まだ、信仰に対して甘いのでしょうか?二人の意見聞きたいなあ。
109:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 17:50:41
>>105
正宗は、はっきり言って(これは創価学会にも言える)曼荼羅に拘り過ぎ
日興遺戒置文や御書にも拘りすぎだよ
確かに拘らなければ解放しすぎて身延に陥りやすいが
ガチガチになりすぎると今度は二乗に陥って返って自滅するし
頭が良ければ、それを悪用して利用する事だって出来る
はっきり言って曼荼羅は争いの元になるなぁ・・・
何故なら価値が其処にしか無いから、結局奪い合いになるんですよ
いいやスレの内容が変わってしまうので話はこの位にして
あとはニセ本尊のスレでどうぞ
110:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 18:05:04 dy1rMn4X
主観が大半を占めてる主張なのに
まるで教義そのものを説明するかのように
垂れ流すのはどうかと思いますけどね。
私も議論するつもりありませんが、あなたのレス読んだ
率直な感想ね。>eco ◆Smw69BiSBo
111:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/10 18:33:23
>>108
信心が深い浅いというのは、一概に判断が出来ない
深いからといって「日顕氏ね」「池田氏ね」じゃ 本末転倒だしね
譬え、学があったとしても、見下し相手を傷つけてしまえば
争いになるだけだし・・・
>>110
では、悟りとは何でしょうか?
歴代の法主は口決相承をしたと実感しているのでしょうか?
していたのなら合理的に説明が出来た筈です
秘密にしている事自体 おかしくないですか?
それでは広宣流布というものが実現できないし、特定の人しか救えない
結局、それは弱肉強食の世界と一緒じゃないですか
力の強い方が正義で、苛める事が正当な行為だと
それに悟りと言うものは、法主しか出来ない事なのでしょうか?
また、彼の書いた生命論でも「不思議な境地だった・・・」と
大百蓮華の創刊号にも書かれていた筈
文献でも探して確認してみたら如何です?
また、その事を持ち出し否定するのであれば
戸田先生に弓を引く事になりませんか?
たしかに酒のせいにして逃げる方法も有りますけれどねー
しかし、その御山が御酒を造るのは皮肉な話です。
112:yuriko
07/01/10 18:55:20
>>102
>一つ質問ですが、友人宅にご本尊がない場合とか、旅先のホテルの場合はどうされますか?
→外部(法華講員でない)と仮定して、お答えします。
まず、日蓮大聖人が「御本尊を自分の外に求めてはいけない」(日女御前御返事)と仰っています。
ですから、御本尊を物理的存在として観るのは、間違ってるということです。
また、法華経寿量品には、常住此説法 と説かれ、仏の命は永遠に存在するとしています。
しかし、それは、霊的、精神的存在です。
それを日蓮大聖人が悟り、具体的形に表わしたのが、曼陀羅御本尊なわけです。
日蓮大聖人は、他の宗教の教祖のように、何か奇跡を起こしたり、不滅の肉体を持って、天に登ったというのでも
ありません。
日蓮大聖人は、凡夫=衆生が、そのままで仏になるという、密教の唱える不ぉ即身成仏
を一歩進めた考え方をしました。
すなわち、あくまで「生きてる人間に内在する仏性」=正因仏性を勲発して、
「縁因仏性」に触れて成仏するというものです。
極めて、論理的考え方です。
須ばひい、芸術作品に触れて、私達が何故か、感動するのは、私達の中に、既に、芸術家と同じ、
感性が眠っていただけだったのです。芸術家がそれを、作品を通じて、目覚めさせてくれたのです。
創価学会は、明らかに、正因仏性の存在ばかりを強調していますが、汚れた命も抱えている己を
祈ってばかりいては、何も勲発されません。
やはり、正しい、対境=御本尊に、正しい信仰心=了仏性があってこそ、成仏が適うのです。
日蓮大聖人が何の為に、出世の本懐である、大御本尊を遺したのか、思い遣るべきです。
113:yuriko
07/01/10 19:31:29
続
芸術家と同じ、 感性が眠っていただけだったのです。
芸術家がそれを、作品を通じて、目覚めさせてくれたのです。
創価学会は、明らかに、正因仏性の存在ばかりを強調していますが、汚れた命も抱えている己を
祈ってばかりいては、何も勲発されません。
私達は、残念ながら、末法の御本仏 日蓮大聖人に直接見えることはできませんでしたが、
信の力で、智慧を得て、想像力を持って、日蓮大聖人が魂魄を留めた大御本尊という正縁に触れることで
成仏ができるのです。
大御本尊がおはしまう奉安堂から、目と鼻の先に住み乍ら、あれこれ屁理屈をこねて、登山
しなかったり、
ましてや、創価学会員のように、日蓮正宗僧俗の悪口を言うのが、
大謗法蜷うことは、間違いありません。
やはり、正しい、対境=御本尊に、正しい信仰心=了因仏性があってこそ、成仏が適うのです。
日蓮大聖人が何の為に、出世の本懐である、大御本尊を遺したのか、思い遣るべきです。
★訂正
>須ばひい→例えば
>正しい信仰心=了仏性→了因仏性
114:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 20:09:18 dy1rMn4X
>>111
だから、あなたの言う事は主観による勝手な推量ですよ。
唯授一人の相承という相伝のあり方について
秘密にするのはおかしいとか、合理的でないとか
それはそのまま大聖人や日興上人に言ってるのとかわりませんけど。
あと、戸田会長の「不思議な境地」ってのはなんです?
宗祖のそれと同義の「悟り」ですか?違うでしょう。
自分の感性で何でも一緒くたに論じない方がよいですよ。
教学的な議論するつもりありませんと言いました。
ただ、あなたの主観で、さもそれが真実、正当な教義であるかのように
述べられるのは、何も知らない人が目にしたときに害になるだけなので、
充分気をつけた方がよいですよ、と言いたいだけです。
>>113
>芸術家と同じ、 感性が眠っていただけだったのです。
そういう、それこそ自分の感性で安易に譬喩をもちいるのは、
学会のエセ教学みたいな過ちおかしますから気をつけた方がよいかと思いますね。
115:yuriko
07/01/10 23:20:12
>>114
>学会のエセ教学みたいな過ち
→確かに、過去、「創価仏法」(小野不一的)解釈が巾を利かせ、
日蓮大聖人の仏法どころか、仏教ともいえない代物が、学会内を流通してしまったときもありました。
石田次男氏の教学理解が必ずしも、優れてるとはいいませんが、
池田先生の「内外一致の教観」は、確かに、悲惨の一語に尽きます。
池田先生は、明らかに肝心なところで、仏教の基本を学び損ねたようです。
また、戸田先生の仏教理解も、深いものがありましたが、正統派とはいえないでしょう。
どんな宗教でも、最初は、異端から出発するわけですから、そのことに頓着しても意味ないでしょ。
ドラマ「人生はフルコース」のモデルになった、村上信夫さんの偉大な貢献は、
フレンチ料理を家庭で作り、味わえるようにしたことです。フレンチ料理の大衆化に成功したのです。
この大衆化というのは、一見、俗化ともいえますが、人々にどれだけ大きな幸福をもたらしたか、
知れないのです。
そういう「大衆主義」というも流れに、創価学会も上手く乗ったのです。
すなわち、「難解な仏教用語を時代に相応しい易しい言葉で説明する」ことに成功したのです。
一度、ある住職の御講のあと、「今日の御講」は難しかったですね」と申し上げたら、
「わからなくていいのです」みたいなことを言われました。わたしは、
「わからなければ、意味ないですね」と言ったら、明らかに、ムッとした様子でした。
釈尊も対機説法といって、相手に合わせて教えましたし、日蓮大聖人は、多くの女性信者達に
躊躇することなく「ひらがなまじり」で「わかりやすい例え話を織りまぜて」仏法を
説明しました。
「わかりやすく仏法を説く」というのは、最早、手段ではなく、目的となるべきだと思います。
私は、そういう意味で、創価学会で学んだことは、決して無駄になったとは、思っていません。
116:yuriko
07/01/10 23:23:45
続
「わからなくていいのです」みたいなことを言われました。わたしは、
「わからなければ、意味ないですね」と言ったら、明らかに、ムッとした様子でした。
釈尊も対機説法といって、相手に合わせて教えましたし、日蓮大聖人は、多くの女性信者達に
躊躇することなく「ひらがなまじり」で「わかりやすい例え話を織りまぜて」仏法を
説明しました。
「わかりやすく仏法を説く」というのは、最早、手段ではなく、目的となるべきだと思います。
私は、そういう意味で、創価学会で学んだことは、決して無駄になったとは、思っていません。
117:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/10 23:47:52 dy1rMn4X
仏教って、対機説法至上主義じゃないですよ。
もちろん、かみくだいて説くことも必要でしょう。
しかし、もれが言っているのは
平易にすれば良いというものではないってことです。
その譬喩が、対象とするところの仏教用語等の意義をカバーできていないことが多いからです。
例えば御本尊を「幸福製造器」という表現ありましたね。
戸田さんを非難することが主旨ではないですが、あれだって正しい解釈ではないと思います。
ま、安易になんでも置き換えて「民衆の仏法だから」なんて、
法の主体を所化の衆生にもってきてうそぶいてる層化は
いわゆる学仏法成に代表されるような仏法を私する外道ですね。
118:yuriko
07/01/11 02:14:21
>>117さんへ
もう少し考える時間が欲しいのですが、
一言だけ。
まず事実を確認しておきましょう。
1 歴史上の釈尊は、大乗仏教に登場する「宇宙仏」と直接は関係ない。
2 確かに、法華経に登場する釈尊は、対機説法という方法を取らず、無問自説 または、随自意という
方法を採ったが、それは、寧ろ特殊な方法だった。
3 「幸福製造器」というのは、戸田先生なりの比喩で、その意図するところは、
「宗教の本来の目的は、それぞれの人生に於いて、宗教を役立てること」であって、
「先祖供養に代表される迷信と社会の保守勢力の温存の為にあるものではない」
ということだと思います。
鎌倉時代に自分の宗派を開いた、大聖人は、祈祷による気休めや死後の不安に怯える民衆を
利用して、私腹を肥やしていた当時の、仏教勢力を厳しく批判しました。
日蓮大聖人は、「現実世界で役立つ宗教」を唱道したのです。
そういう意味合いでいえば、ある意味、御本尊様は、幸福製造機と言えるかもしれません。
119:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/11 02:38:14 7wgWWv9m
>>118
いーですよ、別に議論するつもりありませんから。
ただ、あなたの論法は層化のそれに通じるものがあって危険だな、と思ったので
私の勝手な感想ですが申し述べさせてもらっただけです。
戸田さんの「幸福製造機」、あながち全否定してるのではありませんが、、、
それでは御本尊について誤解を招きかねない譬喩というのが一点。
それと、根本尊崇、本有尊敬ともいわれる、信仰の根幹である本尊について
私だったら安易に「幸福製造機」なんて譬喩はあてないかな、というのが一点ありますね。
また、その譬喩に関するあなたの解釈が、
なにを根拠に導き出されているのかここで問うつもりもありません。
後付の解釈は層化の得意とするところですが、
こういうものは水掛け論になってきりがありませんから。
>鎌倉時代に自分の宗派を開いた、大聖人は、祈祷による気休めや死後の不安に怯える民衆を
>利用して、私腹を肥やしていた当時の、仏教勢力を厳しく批判しました。
>日蓮大聖人は、「現実世界で役立つ宗教」を唱道したのです。
この言い回しは、まさに学会が使うものですが、
これについても別にどうのこうの言うつもりはありません。
彼らの用いる、為にする解釈とだけ言っておきます。
大変ですから調べ物なさらなくていいですよ。
丁寧なレスありがとうございました。
120:yuriko
07/01/11 12:26:03
>>119
>信仰の根幹である本尊について
>私だったら安易に「幸福製造機」なんて譬喩はあてないかな
→それもそうなんですが。
ここで、戸田先生の立場を考えてみましょう。
牧口先生ともに創立した、創価教育学会は、当局の弾圧の結果、ほぼ壊滅状態に陥りました。
ところが、他のライバルの新興宗教団体は、大部分が戦時中、それなりに当局に協力した為に、
その立ち直りは容易でした。
文字通り、戸田先生は、一人で、マイナス状態から学会再建に取り組まなければ、ならなかったのです。
そこで、戸田先生が考えた作戦は、日蓮正宗の大御本尊の徹底的な利用でした。(良い意味で)
「何か、特別な宣伝文句を考えなければ、客(信者)を寄せることはできない」と思ったに違いありません。
考えてみれば、日蓮大聖人も、鎌倉新仏教の教祖達の間、最も遅いデビュ-だったわけです。
何か特別なことをして、人目を惹かなければならなかったのです。
反発されるの覚悟で「四箇之格言」に示した、日蓮大聖人の作戦は、
現代のMBAプログラムでも、取り上げられてもいいくらい、卓越したものです。
明示の教育界のパイオニアで、後に多大な影響を遺した、
キリスト者の内村鑑三は、「無教会主義」というプロテスタント主義を更に進めた、
独自の考え方をしました。
人間としても、事業家としても、
「池田先生は、いかなる努力を払おうとも、戸田先生に遠く、及ばない」
とは、言えそうです。
そんな鑑三は、「代表的日本人」という著を記し、日蓮大聖人のことを絶讃しています。
もちろん、鑑三は、大聖人の性格の欠点も指摘してます。
121:yuriko
07/01/11 18:21:14
書き込む前に、下書きをしてるのですが、どうしても書き損じが生じてしまいます。
後半部分を書き変えます。
↓
明治の教育界のパイオニアで、後に多大な影響を遺した、
キリスト者の内村鑑三は、「無教会主義」というプロテスタント主義を更に進めた、
独自の考え方をしました。
鑑三は、何より、一人の信仰者として自分を見詰めました。
何より、個人として、普遍的人間の価値を追求したのです。
ですから、鑑三が鎌倉新仏教のパイオニアとして、道無き道を切り開いた日蓮大聖人に
特別な興味を示したのは当然でした。
鑑三は、「代表的日本人」という著を記し、日蓮大聖人のことを絶讃しています。
常識的には、「長いものに巻かれない」姿は、ステレオタイプの日本人の型に当て嵌まりません。
しかし、確かに、日本の伝統には、「権威への反抗」というものもあったのです。
もちろん、鑑三は、大聖人の性格の欠点も指摘してます。
戸田先生もまた、本来は教育者の「宗教研究」程度の集団を
現代的、大衆運動の旗手とした、先駆な構想を持ちました。
宗教を経済的に利用するという面では、本来の仏教的発想とは、かけ離れていたのかも知れません。
そうした発想は、オウム真理教を初めとする、日本型カルトの原型を造ってしまったのかも知れません。
いずれにしても、池田先生は、戸田先生が命懸けで作った組織の「おいしいところ」に
乗かっただけです。
過小評価することは、危険ですが、
過大評価することは、もっと危険です。まして、戸田先生 が作った組織を破壊する権利はないのです。
人間としても、事業家としても、 「池田先生は、いかなる努力を払おうとも、戸田先生に遠く、及ばない」
とは、言えそうです。
122:yuriko
07/01/11 18:43:44
戸田先生もまた、本来は教育者の「宗教研究」程度の集団を
現代的、大衆運動の旗手と変化させ、先駆な構想を持ちました。
宗教を経済的に利用するという面では、本来の仏教的発想とは、かけ離れていたのかも知れません。
そうした発想は、オウム真理教を初めとする、日本型カルトの原型を造ってしまったのかも知れません。
いずれにしても、池田先生は、戸田先生が命懸けで作った組織の「おいしいところ」に
乗かっただけです。 「聖的部分」を自分の都合で利用しただけなのです。
その本当の目的は、「俗物的」天下取り構想にのみあったのです。
過小評価することは、危険ですが、
過大評価することは、もっと危険です。まして、戸田先生が作った組織を破壊する権利はないのです。
人間としても、事業家としても、 「池田先生は、いかなる努力を払おうとも、戸田先生に遠く、及ばない」
とは、言えそうです。
法華経は、地涌之菩薩という菩薩者達を中心とする、一大叙事詩です。
菩薩の最大の特徴とは、「自身を犠牲=供養して、他者を救済する」というものです。
保身と野心に溢れた人間が実行できることではありません。
もし、そんな不思議なことが出来た人物が過去存在していたとするなら、
戸田城聖先生一人だけだったと思います。
123:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/11 20:05:23
>>114
>>唯授一人の相承という相伝のあり方について
>>秘密にするのはおかしいとか、合理的でないとか
>>それはそのまま大聖人や日興上人に言ってるのとかわりませんけど
では、改めて伺いますが血脈って何を意味するんでしょうか?
血脈を受けた法主じゃないと、この信仰は成り立たないんでしょ
つまり血脈と言うのは、創価の言う師弟不二論と
大して変わらないような気が致しますが
この違いをちゃんと説明して頂けないでしょうか?
124:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/11 20:14:26
yurikoさん どうも有難う御座います よく勉強しているよ
>>114の香具師と違って・・・
125:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/11 23:41:55 7wgWWv9m
>>123
教義上の議論するつもりないと言ってるんだし。
ま、簡単に…
層化の師弟不二論なんて、破門されて本来の法脈から放り出されたから
新設しなきゃならなかった独創教義ですよ。
そもそも、仏法を信じる者にとっての師は仏のことです。
だから仏は主師親の三徳兼備というんです。
そこからことさら師恩を切り出して名誉会長にくっつけるのは、
層化の独創教義であって、仏教じゃないですね。
そもそも、そんなことは昭和の教義逸脱問題でとっくに指摘されたことで、
「そういう表現は信仰上誤解を招きかねない、いきすぎた表現でした」(取意)
って誤りを認めてることじゃん。
ま、腹の中じゃ悪いと思ってなかったんでしょうね。
とりあえず、的はずれな質問返しはなさらないでください。
唯授一人といわれる別付の血脈相承について、その与り知らないところの人間が
「秘密にするのはおかしい」とか「合理的でない」
というのは、まったくの主観ですし難癖ですよ、と言ってるだけですから。
ま、だから議論するつもりないと言ってるんです。
もう層化は一個の新宗教で、教義も正宗から盗んで似せてるだけで
まったくの別物なんですから、好きにすればいいですよ。
もれが言ったのは、「曼荼羅なしで悟った」とか、その他もろもろ
あなたの感性で勝手に仏法解釈して垂れ流すと
それが本当なんだと誤認する人がいるから害になると言ってるんです。
よく為にする切り文するにしても、層化は御書根本と言ってるんだし
せいぜい依文くらいは挙げながら解説してくんないかな?
あ、あと批判者や意見する人をいちいち侮辱していると、
層化となんらかわりませんから気をつけて下さいね。
126:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/11 23:47:35
創価の教えに乗っ取って考えると、
創価自体がとんでもない邪教って事になるよね
127:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/11 23:50:04
>>125
>層化の師弟不二論なんて、破門されて本来の法脈から放り出されたから
>新設しなきゃならなかった独創教義ですよ。
>そもそも、仏法を信じる者にとっての師は仏のことです。
とんでも代作がミヅカラを神格化することが、層化を狂わせたネ。
破門されたときに、代作が層化を辞めていれば層化は救われていたかも。
128:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/11 23:58:50
師匠は主師親三徳具備の 日蓮大聖人 です。
ニセモノ代作なんか、間に入って邪魔しないでくれ!
129:yuriko
07/01/12 02:35:10
果たして、創価学会の存在は、社会に肯定的な側面にのみ貢献があったのでしょうか?
「人を集めること」→「信+者=儲け」になることに、いち早く気がついた戸田先生に、
先見の明があったのは、確かです。
しかし、近年、仏教系カルト集団が社会にもたらした「宗教への不信」を造り出してしまった、
直接の原因は、創価学会にあったのではないでしょうか?
創価学会の凋落傾向は、日本全体の人口減少と軌を一つにしてるのは、偶然ではありません。
その功罪を、落ち着いた視点から、検討する必要はないんですか?
その原点に立ち返って、
「何の為だったのか」を創価学会=公明党が自問自答する、よい機会だと思っています。
130:yuriko
07/01/12 03:01:12
最近、文庫化された溝口敦作「堕ちた神ー池田代作 権力者の構造」は
名著だと思います。
私が初めて、この書を手にしたのは、もう20年以上前だったのですが、
最初の印象は、
「この著者は、仏教に於ける「仏」と「神」の概念を全く理解しない
「トンダモナイピンボケ」くらいにしか思いませんでした。
ところが、読み進めていく内に、この著書には、他の「曝露本にはなお、「真摯さ」
があることに気がtっすきました。
まさに、創価学会問題が池田問題とされる所以の根本的病巣をえぐっていたのです。
仏教に於ける「仏」は、他の宗教のような「絶対者からの恩寵を期待するものではなかった」のですが、
特に日本に於いて、仏教が外的宗教として取り入れられた経緯から、
「鎮護国家」的側面から、「地蔵信仰」に堕してしまいました。
さらに、宗教を専門家のもの、つまり、「餅屋は餅屋」的傾向が当たり前になってしまったのです。
日蓮大聖人の宗教者としての最大の功績は、そうした専門家の宗教→日常の実践の宗教
にしたことだと思います。
牽強付会的側面はありましたが、戸田先生は、そこに注目して、仏教のい実践を庶民の生活レベル
で実践したのです。
ところが、池田創価学会は、全てを「俗化」してしまい、
溝口敦氏がいうところの「学会組織を自分の持ち物」=私物化したところに
その決定的敗北があったのです。
131:yuriko
07/01/12 03:07:39
訂正130
>この著書には、他の「曝露本にはなお、「真摯さ」
があることに気がtっすきました。
↓
この著書には、他の「曝露本にはない、「真摯さ」 があることに気がつきました。
132:yuriko
07/01/12 03:10:38
池田創価学会は、全てを「俗化」してしまい、
溝口敦氏がいうところの「学会組織を自分の持ち物」=私物化したところに
その決定的敗北があったのです。
133:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 03:38:00 KbJAz8tN
URLリンク(www.youtube.com)
134:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 04:58:49
>>132
たまにチョロチョロ読ませてもらってるよ。
スレストされて凹んでる様だけど、常人の証とポジティブに受け取ろうと思う。
さて、貴殿の所属は?
法華講・顕正会・創価学会・妙観講。
この何れかにも所属しない。関りすら持たない者がそれだけの含蓄を持てるのは
並大抵ではないと思われる。
普通人なら興味の無い事だからね。
当てて見ようか? 貴殿の所属。
上記の4団体から、件の書き込みの傾向性を鑑み創価を省いて考えると
戸田城聖を「戸田先生」と尊称する団体は唯一つ。
浅井さんトコのお弟子さんだね?
っとまぁ、これで一応スレスト防止の一旦は担えたんじゃ無いかね。
感謝し給え。
135:yuriko
07/01/12 05:14:38
>>119
>彼らの用いる、為にする解釈
→戸田先生が言われた「(御本尊様、特に大御本尊様は幸福製造機」に関してですが、
前法主が同じようなことを言っていたのに、
「はっ」とした憶えがあります。
すなわち、「御本尊をお守りのように、仏壇に飾っておくだけでは、何の功徳もない」
と言いました。
確かに、民間の素朴な信仰心を尊ぶことは大事だと思います。
「願かけ」や「お参り」というのも、美しい行為だとは思います。
根檀家と呼ばれる先祖伝来の古い法華講の家では、勤行をする習慣すらないところが
多いそうです。
しかし、宗門が何といおうと、俗世間的、「拝み屋」であろうと、仏教を日常活動の一部
にしたのは、戸田創価学会だったのです。
他宗では、法要の際、前の方に僧侶が座り、読経をし、後ろの方で、信徒が眺めてるというのは、
普通の光景のようです。
日蓮正宗では、僧俗一体となって、同じ題目を唱え、同じお経を読むのですが、
それが当たり前の伝統となったのは、創価学会が参加するようになってからのようです。
日蓮大聖人は、折伏する資格に、僧俗n区別を一切つけてないことは、様々な御書で明らかです。
在家信者が他宗僧侶を折伏する御書「弥三郎御書」を宗門で、殆ど学習しないのは、故あってのことでしょう。
宗祖が遺した智慧を隠して、役立てないことは、それだけで「罪悪」だと思います。
池田創価学会が成したことは、確かに、日蓮大聖人の教えを歪曲し、汚染したとはいえますが、
「宗教を万人に開いたもの」にした功績は大きいのです。
「糞も味噌も一緒にしてはならない」のです。
136:yuriko
07/01/12 05:19:01
それが当たり前の伝統となったのは、創価学会が参加するようになってからのようです。
日蓮大聖人は、折伏する資格に、僧俗n区別を一切つけてないことは、様々な御書で明らかです。
在家信者が他宗僧侶を折伏する御書「弥三郎御書」を宗門で、殆ど学習しないのは、故あってのことでしょう。
宗祖が遺した智慧を隠して、役立てないことは、それだけで「罪悪」だと思います。
池田創価学会が成したことは、確かに、日蓮大聖人の教えを歪曲し、汚染したとはいえますが、
「宗教を万人に開いたもの」にした功績は大きいのです。
「糞も味噌も一緒にしてはならない」のです。
137:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 05:38:59
>>135
予断では有るが、
宗門が所謂「弥三郎御書」を学ばないってのは初耳だな。
仮にそうだったとして、多分「録外御書」だからだろうし元より真蹟ではないからだろう。
富士門流自体が眉唾物の確信犯だからね。
そんな事より、信仰と宗教は本来別物であると言う事を等閑にしている事の方が大問題だよ。
ま、ここでやる話じゃないがね。
138:yuriko
07/01/12 06:14:31
>>125
>師弟不二論なんて、破門されて本来の法脈から放り出されたから
新設しなきゃならなかった独創教義
→それは、ちょっと違うでしょ。
「独創教義」などといったら、「誉め殺し」というものです。
「創価学会に独創教義など何一つない」というところから出発しないと。
せいぜい、催尊入卑の態度で、牽強付会的に、日蓮正宗の教えを利用した、というのが正しいのです。
確かに、人間の文化の特徴とは、世代から世代に伝わることで、染色体が突然変異を繰り返すように、
少しずつ発展していくものです。
その功罪は別にして、世界最大の信徒数のキリスト教にしても、ユダヤ教の旧約聖書が
ベ-スにあったからこそです。
日蓮大聖人も師の道善房を手放しで誉めてるわけではありませんが、師の恩に感謝してます。
また、大聖人は、「文証」を重視して、先人の功績を尊びました。
だからこそ、創価学会では、「御書根本」とか言ってるのです。
しかし、この「直接相承」は顕本法華宗が、唱え、創価学会が批判していた教えの一つだったのです。
「我々は新興宗教ではない」は折伏教典の有名な言葉ですが、
「先輩として、これから、いろいろと教えてください。宜しく」などと言って、
創価学会副会長が手土産で立正佼成会本部を訪れたことが、関係者の証言で明らかになっていますが、
かつては、東の佼成、西の天理と、折伏攻勢をかけられた嫌な思いがある、団体としては、
「鼻白む」思いがしていたに違いありません。
創価学会が、いくら「三代の会長を永遠の師とする」といったところで、中味は、隙間だらけで、
指で一押しすれば、脆く崩れかねない怪し気なものに過ぎないのです。
「猿真似」の域を出ないのです。
日蓮正宗では、10年の歳月をかけて、「御影堂修復工事」の事業が始まりました。
1000年建築の正本堂が、落慶後、僅か5年で、本格的修復工事が必要となり、
30年後には、創価学会が放棄して、宗門に取壊させたことに、象徴されるような
「思いつき」の帳尻合わせと、本当の広宣流布とは、中味が全く違うのです。
139:yuriko
07/01/12 06:21:38
先輩として、これから、いろいろと教えてください。宜しく」などと言って、
創価学会副会長が手土産で立正佼成会本部を訪れたことが、関係者の証言で明らかになっていますが、
かつては、東の佼成、西の天理と、折伏攻勢をかけられた嫌な思いがある、団体としては、
「鼻白む」思いがしていたに違いありません。
創価学会が、いくら「三代の会長を永遠の師とする」といったところで、中味は、隙間だらけで、
指で一押しすれば、脆く崩れかねない怪し気なものに過ぎないのです。
「猿真似」の域を出ないのです。
日蓮正宗では、10年の歳月をかけて、「御影堂修復工事」の事業が始まりました。
1000年建築の正本堂が、落慶後、僅か5年で、本格的修復工事が必要となり、
30年後には、創価学会が放棄して、宗門に取壊させたことに、象徴されるような
「思いつき」の帳尻合わせと、本当の広宣流布とは、中味が全く違うのです。
140:yuriko
07/01/12 06:42:18
>>137
>「録外御書」だからだろうし元より真蹟ではないからだろう。
→新編に収録されてます。正確には「弥三郎殿御返事 」です。
宗祖の力強い激励に、何度奮い立ったか知れません。
『構へて構へて所領を惜み、妻子を顧りみ、又人を憑てあやぶむ事無かれ。但偏に思ひ切るべし。
今年の世間を鏡とせよ。若干の人の死ぬるに、今まで生て有りつるは此の事にあはん為なりけり。
此れこそ宇治川を渡せし所よ。是こそ勢多を渡せし所よ。名を揚るか名をくだすかなり。
人身は受け難く、法華経は信じ難しとは是なり。』
141:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 08:58:48
>>138,139
ひょっとして普通のブラウザで書き込んでるのかな?
「省略されました」って出てても本文自体は切捨てられてないんだけど。
>>140
おやおや・・・
「録外」の意味も「真蹟」の意味もご存じ無いんですか。
真蹟御書を軽んじる姿勢は妄信の表れですよ?
誰が言ったか解らない言葉を「日蓮さんのお言葉」として
有り難がるんですからね、妄信以外の何者でも無い。
と、法華講じゃ最近、戸田さんの功績だけは認める様に
成ったんでしょうか?
142:yuriko
07/01/12 10:59:24
>>141
>「録外」の意味も「真蹟」の意味もご存じ無いんですか。
真蹟御書を軽んじる姿勢は妄信の表れ
→「真跡」は直筆御書でしょ。
でも、その他にも、日興上人が書写して、日蓮大聖人が花押を押した御書もあります。
「弥三郎殿御返事 」は、真跡御書は見つかってませんが、
花押が押されたものは見つかってます。
日蓮大聖人在世の折は、印刷技術が進歩していたわけではありませんから、
後世に大聖人の書かれたものを残そうと、
弟子達が並々ならぬ努力を傾けました。
特に、日興上人は、他の弟子達(日蓮宗系)が、「大聖人の恥」として、ひらがな交じりのお手紙も
御書として、後に残されれるように、努力なさったのです。
<録外の意味>日蓮大聖人の自筆遺文. 日蓮大聖人の自筆遺文は入寂後一周忌に収録されたものがあり、これを録内と呼びます。 さらに三周忌にも集めましたが、これは録外と呼んでいます。
143:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/12 11:09:21
>>125
幸いにもyurikoさんが>>138-139で答えてくれたので
敢えて書かなくてもいいが
貴方に私が問いたかったのは「師弟不二」と「血脈」の違いについて
伺っただけですよ
私からみたら血脈論も師弟不二論も同じにしか見えないんですよ
池田氏の言い分だと師弟不二とは合一と言っているのでね・・・
つまり大聖人の器が日興上人に移り
それが次の日目、日道へと移ったわけでしょ?
これも所謂、師弟不二なんですよ 違うというのであれば
その辺を詳しく説明できるんじゃないですか?
主観、主観というのなら
>>141
・・・・・
>>110 >>114 >>117とレスしていくうちに池作の寄生虫まで涌いてきた
頭が痛い
>>真蹟御書を軽んじる姿勢は妄信の表れですよ?
言っておくけど日興遺戒も真蹟とは断定できないんだよ
弟子の筆跡なので また106箇の相承も確か疑義があった筈
ソース堀日亨だよ
144:yuriko
07/01/12 11:10:01
訂正
>特に、日興上人は、他の弟子達(日蓮宗系)が、「大聖人の恥」として、ひらがな交じりのお手紙も
御書として、後に残されれるように、努力なさったのです。
↓
特に、日興上人は、他の弟子達(日蓮宗系)が、「大聖人の恥」として、ひらがな交じりの手紙を
隠したり(障子(しょうじ)にしたり)、破壊してしまった中、
ひらがな交じりのお手紙も 御書として、後に残されれるように、努力なさったのです。
145:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 11:38:18
>>142
ふむ、取って付けた様なマニュアル的解釈をありがとう。
貴殿の眼力は所謂「信仰の成せる業」により、既に曲げられていると思われる。
>日興上人が書写して、日蓮大聖人が花押を押した御書もあります。
信仰者は上記のこれを宗祖の意思と認めるのでしょうけども、研究者は認めません。
認めるに値できる物が有るとすればそれは、
「代書された事を依頼者の直筆にて一筆の断りと署名が有る事」
「それらは連面で有る事」
とまぁ、煩く言えばこの通りなのです。
件の遺文は、一信仰者の姿勢に準えた意識の在り方を主に説いているので
老齢の師の体を鑑みて、師の代わりに日興が自らの考えで書したもの、
と見るのが賢いでしょう。
日蓮さんの教えに照らして日興が考え書きました。
こう言う趣旨で残ってれば書の威厳も全然怪しくは成らなかったんですがね。
ただ、重みはかなり軽くなってしまう事は否めません。←仏教史上に於いてもかなり重要。
それと、
日興さん、日蓮さんの花押を真似るのが上手かったらしいですよ?
何故そんな事する必要が有ったのかは謎ですがね。
まぁ、そりゃともかく、
三証に照らせば現証に過ぎる事などこの世界には無い訳で、
それを教えてるのが本来の仏教かと。
しかし、当の富士門流は物事の証拠や遺物、遺跡類等に拘るあまり、
終には仏教本来の本質すら忘れてしまっているかの様です。
146:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 11:49:25
>>143
悪いが、私は所謂学会員でもないし、富士門流信徒でもないよ。
残念だったね。
それと、百六ヶ抄どころか御義口伝だって日興さんの創作(一応日蓮さんの教えは厳守)って感がが濃厚なのだが?
私の考えは、誰が書いたか?はあまり見ていない。
どう書いて有るか?ってのが重要なのだよ。
そこに教えの一貫性が認められるなら、断りがある限りそれはそれで良いと私は思う。
しかし、元来「聖なる教え」の類って言うのは何か、威厳に仮託して騙るものが実に多い。
しかもこれが原意だとほざく。
御書然り、法華経然りだ。
これらを一切無視する事が出来れば立派な妄信だ。
147:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/12 12:34:15
>>145-146
なんか堀日亨迎下と言っている事が似ているのが不思議
そうなんですよ、過去、富士門流に対してその事を指摘しているんですよ
・・・で、残念ながら創価学会もその方向へと向かってしまっている
否、創価のほうが性質が悪い
活動が本質から完全に逸れてキリストと合体してしまった
もうひとつ言うと
実は日興上人って、生い立ちからして 余りにも謎が多いんですよ
148:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/12 12:50:34
下手をすれば主師親三徳 大慈大非 宗祖日蓮大聖人より
第二白蓮阿闍梨日興上人の方が
久遠元初自受用報身如来の御当体なんじゃないのか?と
錯覚を覚える位、謎めいた人物なんですよ
釈尊と竜女みたいな関係でしょうか?
149:yuriko
07/01/12 13:54:43
>>145
>研究者は認めません。
→私に限らず、「研究者の研究ほど怪しいものはない」というのが、
常識です(笑)
>「代書された事を依頼者の直筆にて一筆の断りと署名が有る事」
養老猛が「バカの壁」に書いていたんですけど、
「死んでしまった人が遺したもの」のみが、変わらずに残るのです。
日蓮大聖人が御在世の折り、沢山の御本尊をの書きましたが、その内の一つを選んで、
いくら気に入ったからといって、崇拝の対象にするべきでないでしょ。
日蓮宗がやってるのは、正に、そのことです。大聖人の心を踏みにじるものでしょう。
ましてや、日蓮正宗二十六世の法主が、大御本尊の相貌を書写した御本尊を元に、
複写して、大量生産してる様は、悩乱そのものの姿です。
大事なのは、何が日蓮大聖人の本懐かを見極めることだと思います。
言い換えれば、日蓮大聖人が恋後生に遺したかったか、です。
私は、テレビドラマ「北の国から」が大好きなのですが、2002年に放映された「遺言」
は、とりわけ感動しました。
主人公「吾郎」が言う「俺のことを忘れないでほしい」というのは、遺言を書く者の願いではないでしょうか?
日蓮大聖人にしても、いろいろ辛い経験はしたけれど、当時としては、長寿の61才まで生きました。
そこで、やはり、日蓮大聖人が後生の者に憶えておいて欲しかったのは、
日蓮大聖人の「生きざま」そのものだったのではないでしょうか?
すなわち、「如何なる困難にも負けず」「あらゆる権威と闘い」「愚直なまでに誠実を尽くし」
「「仏教僧として分を守りながら、その使命を果たす」というものだったと思います。
在家僧の阿仏房を「宝塔」=「御本尊」とまで称えた人です。権威で固めた座に座りたいなどと、思う
筈もなかったと思います。
要するに、私達は、想像力を働かせて、信心の助けを借りて、日蓮大聖人と夢の中で、見えるしかない、と思います。
150:yuriko
07/01/12 14:02:52
訂正>>149
>言い換えれば、日蓮大聖人が恋後生に遺したかったか、です。
↓
言い換えれば、日蓮大聖人が何を後生に遺したかったか、です。
続
主人公「吾郎」が言う「俺のことを忘れないでほしい」というのは、遺言を書く者の願いではないでしょうか?
日蓮大聖人にしても、いろいろ辛い経験はしたけれど、当時としては、長寿の61才まで生きました。
そこで、やはり、日蓮大聖人が後生の者に憶えておいて欲しかったのは、
日蓮大聖人の「生きざま」そのものだったのではないでしょうか?
すなわち、「如何なる困難にも負けず」「あらゆる権威と闘い」「愚直なまでに誠実を尽くし」
「「仏教僧として分を守りながら、その使命を果たす」というものだったと思います。
在家僧の阿仏房を「宝塔」=「御本尊」とまで称えた人です。権威で固めた座に座りたいなどと、思う
筈もなかったと思います。
要するに、私達は、想像力を働かせて、信心の助けを借りて、日蓮大聖人と夢の中で、見(まみ)えるしかない、と思います。
151:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/12 14:06:29
第二の言論妨害が始まったぞ
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
152:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 19:23:16
>>149
>私に限らず、「研究者の研究ほど怪しいものはない」というのが、
>常識です(笑)
笑止。
所謂富士門流の流儀を用いる者や、就中日蓮の名に仮託し流派を名乗る者は、
全世界に於いてその占める人口割合は「極一部」でしか無い。
この事から鑑みて、どう見れば「常識」と言えるのか?
甚だ疑問を禁じ得ません。
>「死んでしまった人が遺したもの」のみが、変わらずに残るのです。
こう言った言葉を無条件で真に受ける傾向性を私は妄信と申す訳です。
この言葉が何時の時代も普遍であるのなら、キリストが起したと言われる
数々の「奇跡」も事実と認める事になりますが如何か?
因みに、私はキリスト者でもありませんが。
日蓮宗がどうの、二十六世日寛さんがどうのと本尊に絡めて煩く言ってますが、
詰まる所、本尊=十界曼荼羅であると言う文証は有るんですか?
それ以前に、仏教に於いて「本尊」が第一であると言う事を言ったのは誰でしょうか?
>「仏教僧として分を守りながら、その使命を果たす」
これに付いては一部は同意できます。
仏教僧として人並みに立派な方と言う意味では。
一応、当時の習わしとして比叡山で修行され、下山後に単流宗派として独立出来たのも「阿闍梨」の銘を取得出来てたからと。
また、密教僧としてはかなり立派な方の様ですな。
虚空蔵求聞持法等も修められている様ですし。
名残として「合掌印」「口唱真言(題目)」「端座瞑想」「曼荼羅」等。
62年の生涯で本仏様が宗旨化儀を変えるとは如何なもんでしょうね。
最後に、
「然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり。(新P792)」
上記の遺文も真蹟が有りませんし、有ったと言われる記述も怪しげなので却下です。
153:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 19:38:40
yurikoさん、
このままですと私は貴方の筆を止めてしまう所謂「池田さんの配下の者」
と、思われてしまいそうですね。
貴方が書く「池田体制への疑義」には異を唱えるつもりは有りません。
それを踏まえた上で、立宗750年の歴史も決して無謬とは言い切れないしょう?
と、それが言いたかったのです。
154:yuriko
07/01/12 23:55:52
>>152
>キリストが起したと言われる
数々の「奇跡」も事実と認める事になりますが如何か?
→まず、基本的なことから。
キリストは、一応、歴史的存在と認めていいでしょう。
ところが、キリスト教は、キリストが起こしたものではありません。
キリストは、「正しいユダヤ教徒の生き方」を主張し、実践して、他のユダヤ教徒に
疎まれ、仇まれ、謀略の末、権力者によって殺されました。
そこで、三日目に復活して、教えを説いたと信じる者達によって、
キリスト教が始められたのです。
要するに、宗教というものは、後生の者が「どう開祖の教えを解釈するか」によって、
様々な流派が生じるものです。
そこで、子供の頃よく遊んだ「伝言ゲ-ム」のように、伝言が伝わる内に、元の伝言と全く違ったものになってしまう、
ってことがよく起こるのです。
そこで、「開祖の教えに還れ!」と主張するものが現れてくるのです。
大乗仏教徒の中心となった菩薩達が行ったのは、正にこのことで、彼等は、想像の世界で釈尊に出逢い、
さらには、想像で無数の宇宙仏を作りだしたのです。
日蓮正宗にしても、「日蓮大聖人こそが、御本仏」と信じる者達によって、始められた
新興宗教です。
アメリカンインデアンにとって、「想像の世界」で「鳥となって、空を飛ぶ」のは、
(歴史的)事実として受け止められています。
信仰や想像の世界を、科学的に分析することはできないし、そう期待するのは、基本的間違いです。
信じるか、信じないか、の二つに一つです。
キリスト教牧師の中には、実に巧みに、イエスにまつわる全ての奇跡が、実際に起こったと説明する人がいます。
その巧みさには、舌を巻きますが、「詐欺師!」と非難するのは間違ってるのです。
155:yuriko
07/01/12 23:59:54
続
さらには、想像で無数の宇宙仏を作りだしたのです。
日蓮正宗にしても、「日蓮大聖人こそが、御本仏」と信じる者達によって、始められた
新興宗教です。
アメリカンインデアンにとって、「想像の世界」で「鳥となって、空を飛ぶ」のは、
(歴史的)事実として受け止められています。
信仰や想像の世界を、科学的に分析することはできないし、そう期待するのは、基本的間違いです。
信じるか、信じないか、の二つに一つです。
キリスト教牧師の中には、実に巧みに、イエスにまつわる全ての奇跡が、実際に起こったと説明する人がいます。
その巧みさには、舌を巻きますが、「詐欺師!」と非難するのは間違ってるのです。
156:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/13 05:56:12
>>155
>日蓮正宗にしても、「日蓮大聖人こそが、御本仏」と信じる者達
=日興、日目 でしょう。
ですから、創価も この3代には尊敬を払うべきです。
157:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/13 06:06:14
yurikoさん
>>154の書き込みに対して>>155で後半の文章を繰り返すのは何故でしょう?
IEで見ると省略されてるからですか?
ちゃんと読めますから止めた方が宜しいかと。
「全部表示」ってやると省略部分も読める筈です。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/13 20:52:00
日目聖人が広宣流布の暁には、再誕されるという話を聞いたり
読んだりしたことのある人はいませんか?
一エンブダイのお座主 日目上人・・・・・という観念文は、
そこに由来すると言うふうに習ったのですが、、。
159:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/13 21:46:50 0RKZiD4q
>>145
>ふむ、取って付けた様なマニュアル的解釈をありがとう。
横レスすまんが、
そうやって、相手が答えていることに対し、いちいち侮蔑を含んだ言い回しを見ると
どうしても層化を連想してしましますw
ことに専門的分野の話になれば、当然能力差が出て当然だろうに。
それを人を小馬鹿にしたような態度でのぞむ傾向ありますよね、層化のエロイ人って。
研究者らしい視点をひけらかす割には
>日興さん、日蓮さんの花押を真似るのが上手かったらしいですよ?
こんな婉曲的な言い回しするところが笑えるw
そもそも、日蓮日興という血脈をいただく宗旨において
宗祖が印可したことが認められる書を重要視するのは当然のことで
門外漢に非難されるいわれは微塵もないでしょう。
層化の問題なんて、もともと日蓮正宗というカテゴリ内での話でしょ。
文献学的な見地なんかもない交ぜにしながら
うまいこと論点逸らすなってな。
160:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/14 02:58:51
>>159
>そもそも、日蓮日興という血脈をいただく宗旨において
>宗祖が印可したことが認められる書を重要視するのは当然のことで
>門外漢に非難されるいわれは微塵もないでしょう。
それは所謂「二箇相承」の事を言って居られるのかな?
今時、これらを本物と崇めているのは富士のお山とその取り巻きだけですよ。
そもそも、日蓮系の本山格の各寺は殆ど全て「我こそは」と色んな物を因り代に主張してるもんです。
大石寺の主張としては、先の二箇相承と大板曼荼羅、通称「一閻浮提総与の大御本尊」でしたね。
これらは文献学的にも、また科学的考査に耐えられるだけの証明も有りませんね。
普通に考えておかしいでしょう。
大事な大事な相承書が二通有るって事自体が。
その相承書自体も真蹟と言うか原書を紛失してるじゃないですか。
掘れば掘るほどおかしな事しか出てこない、それが富士の清流とやらの実態ですな。
そして創価は嘗ての女房。
宗門を近代化に導いてくれたのも創価だったはず。
別れた女房の悪口を言うということは、自身を下げる結果しか生まない。
凡そ仏教者ならそれ位の知恵だってある筈でしょう。
って言うかね、神奈川の金沢文庫所蔵の「吾妻鏡」って文献、読んでみた方が良いかと思いますよ。
日蓮の当時の地位や実体像がオボロ気に浮かんできますから。
161:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/14 03:07:48
>>159
後一つ、
フォローにはならんとは思うけど、嘗ての阿部さんの「観心本尊抄講義」
あれは良かったと思いますよ、流石教学部長やってただけの事は有りますね。
それに引き換え、池田さんの西洋カブレなスピーチは頂けません。
何せ言うに事欠いて「キソマソコ」ですから・・・w
大草さんだって浅井さんだってこんな下ネタは言わないですよw
162:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 16:16:58
>>158
それについては
URLリンク(smw69.exblog.jp)にも書いたけど
あれは、正宗側の説明だと日道あたりから言い出した事らしい
(ソースはアレ・・・ Wikiの歴代法主の中に書かれていた)
・・・で、確かに戸田城聖氏も法華経講義でその発言をしているし
「存在してるかも知れない」とまで言い切っている
ただ・・・根拠がみつからない
その辺は主観がどうたら・・・と何か言って来そうなので
法華講の人が詳しく知っている筈だよ 責任回避じゃないけれどね
創価の資料を読んでも、戸田先生の記述の奴しか残っていないので
それ以上の説明が出来ない
因みに一閻浮提は日目上人が、天皇を折伏した処から始まっている筈
だから4座の御観念文が戦後変わってしまった
その事もブログに書いたので、読んで戴けると有難いです
称えたいという気持からソレが出てきたのか・・・
まぁ 三世観の生命論から考えたら、
日目上人の生まれ変わりが出てきても おかしくないし
竜女の生まれ変わりや天照大神の生まれ変わりが出てきてもおかしくない
もしかしたら日興の前世は天照大神の卑弥呼だったかもしれないし
その前は竜女だったかもしれないしね
163:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 16:18:10
>>162
・・・で、何らかの変遷を得て、嵐慧子さんに生まれ変わったかも知れないし・・・
164:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 16:47:04
>>159>>162
それは男性=エロイと言う概念からくる差別から無意識に出てきたもの
ヴェーダを考えたら女性の方がエロいし
性欲も男性より遥かに上だったというデーターが存在したりもするんですよ
ただ、イスラムやバラモンのMCによって萎縮した部分もあるのですが
それでもその法を逆手にとる悪知恵が働き
自分の欠点を隠す事が出来たんですよ
もともと人類の起源は女性からだもんねー
だから全ての悪の根源は女性にあるといっても過言ではないよ
男性は女性の意見に従って動かされただけ
考えてみたらMCも貴女達の発明品でしょ? 頭が男性よりも良い女性ですから
165:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 16:57:03
大体、下品と言う認識の捉え方の起源を考えたら
所詮、女性の主観からでしょう バラモンも爾前もよくよく読めば
女性達の欠陥を書いているだけなんだよねー
その結果 男性より頭が悪いという結論が出てきてしまった
しかもヴェーダの頃は男性を動物のように手なづけ奴隷の如く使っていたが
そんな酷使をした結果、逆転してしまい男性の方が頭がよくなってしまった
当にコロンビアの右翼軍みたいなもんですよ
支配者が部下を部品のように訓練させたら
逆転して立場が強くなり 支配者の手に負えなくなると言うアレの方程式
166:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/14 16:59:52 +UEPAle/
それを考えると人間は男性だけに与えられた特権であり
女性は畜生しか価値が見出せない かもね
167:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/14 17:21:21
ありがとうecoさん。>>162
>URLリンク(smw69.exblog.jp)にも書いたけど
>あれは、正宗側の説明だと日道あたりから言い出した事らしい
>(ソースはアレ・・・ Wikiの歴代法主の中に書かれていた)
そのblogアドレスで入れなかったけど、Wiki見てみます。
入会当初聞いたことだったので、観念文や御本尊変更で
いろいろ知りたくなったのでね。
日目上人も四条金吾も上野殿もおられますと代作氏が
言っていたことがあるので。証拠がないのが難点です。
生死生死と繰りかえす永遠の生命は信じているのでね。
江原啓介さんに前世を見てもらいたいものだ。
168:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/14 22:02:37 3yRIKyTC
>>160
>今時、これらを本物と崇めているのは富士のお山とその取り巻きだけですよ。
だから?
批判的立場の人間がこれまで色々考証加えてるけど、
肯定的な主張の中にも、根拠となる史料はあるけどね。
>大事な大事な相承書が二通有るって事自体が。
そんなこと言ってるようでは、実はあまり本件については知らないでしょ?
ま、どうでもいいですけど。
なんでことさら否定的なことだけ言うの、あなた?
頭よさそうなこと言う割には偏頗だなw
>神奈川の金沢文庫所蔵の
>「吾妻鏡」って文献、読んでみた方が良いかと思いますよ。
いちいち金沢文庫なんてこと出さなくても、吉川弘文館の現代語訳があるわ
チラチラひけらかすなってのwww
あなたが偉くて勉強してるのは分かったからw
169:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 22:17:58
>>167
>>162-163は、あくまでも仮定式ね 推測の域からは抜け出せなく
本当かどうかは何とも言えない
江原さんの奴は、例えば、その人の性格とか傾向とかを調べていくと
別に江原さんじゃなくても
そういうのが事は占える、ただ、それでも かなり知識がないと出来ないし
証拠にもならないので、やっぱり難しい・・
あくまでも統計と確率の世界なので
>>日目上人も四条金吾も上野殿もおられますと代作氏が
>>言っていたことがあるので。
池田大作氏も言っているんだ・・・
因みに、個人的には牧口先生や戸田先生の生まれ変わりも
大体 あの方かなぁ・・・なんて思っている人もいる
そう面白い事に2人とも創価には入っていない処か
逆に不意をつかれているし
しかも戸田先生の生まれ変わりに至っては幼少の頃にやめている
ただ、仮定式なので 何ともいえないけれどねー
それでも2人とも前世の福運なのか如何かは存ぜぬが
どういう訳か伝説的なスターになった上
信心をしていなくても、それまで日本人の中にあった概念を
見事に破釈し 打ち破るような事もしている
170:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/14 22:25:43
>>162-163 >>169
なんだか言っている事が大川○法と大して変わんなくなってきたな
嫌だなぁ・・・
チャネ坊とか言われないように・・・ 南無 南無 ・・・
171:yuriko
07/01/15 17:49:42
>>160
>「二箇相承」の事を言って居られるのかな?
今時、これらを本物と崇めているのは富士のお山とその取り巻きだけ
→NHK大河ドラマで、「風林火山」をやるそうですが、
あの甲斐武田家というのが、曲者ですね。
甲斐といえば、身延山ですから、日蓮宗の総本山を騙りたかったのでしょう。
富士山大石寺に厳護されていた、「二箇所相承」は強奪されてしまいました。
ところが、その写本は、何人もの弟子が作ってましたし、
日蓮宗にさえも、その存在を認める記述が、日蓮大聖人入滅直後からありました。
→それにしても、謗法の山となった報いからか、何回も全山が焼失するという災厄に見舞われた北山
本門寺には、何も遺されていません。
ところで、とても興味のある話題なのですが、出来ましたら、スレタイの「創価学会の言論出版妨害」
について話題を集中してくされば、ありがたいのですが。
172:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/15 18:45:33 r5Uo7Q8h
おいおい、二箇相承を大石寺が持っていたなんて大嘘書くなよな。
武田家の増山権右衛門が強奪したのは北山で、大石寺が所有したとの記録は
只の一度もない。
又、前の方で書いていた録内・録外の記述は以前の通説で、現代の研究成果で
録内→宗祖滅後100年が遡れる上限。
録外→大成したのが寛文2年(1662)
となっているぞ。
173:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/15 19:09:57
>>169
>因みに、個人的には牧口先生や戸田先生の生まれ変わりも
二人のスターって誰だろう?当たってなくても一応教えて!
174:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/15 23:17:34
確かに在所は大石寺ではなく、重須の重宝であったといわれている。>二箇相承
そこは確かに誤りだね。
ま、だからといって、そもそも二箇相承は日興上人への付嘱について示す書であって
在所が重須であったか大石であったかによって
その意義は左右されないな。
175:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/16 00:27:50 vkZtQ7vX
>>174
重須と北山の区別を理解していないだろ。
そもそも偽書なんだから、その意義は左右されんわなwww
176:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 01:23:03
>>175
おいおいwww
根拠も挙げずに偽書認定すんなよ
臨写した(させた)って記録や写本があるだけで真書がない
その程度だろーが
否定派の決定的な根拠なんて。
逆に言えば「あったらしい」という痕跡が残されているんだ。
あとは重箱の隅つつくような細かい文言の差違取り上げて難癖つける程度な。
否定したい連中が居るのはわかるよ。しかし偽書である根拠が弱いね。
ま、久遠寺番帳事なんて偽書作ってまで富士の法脈を否定するのも居るからね。
「偽書だ」なんて吐き捨てるだけなら誰でもできるんだよ。
177:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/16 01:52:00
>>173
それは本人や廻りに影響を及ぼしかねないので 書けない
・・・が ヒントだけ
牧口先生の生まれ変わり(eco 推測)
1947年1月生まれで出身地は東京で日本人
或いは1945年8月で福岡
・・・で、男性
どちらかが三谷そけいさんで どちらかが牧口さんだと思う
戸田城聖氏
1959年年月日までは忘れた、東京都渋谷区恵比寿→女性
但し14の時に創価学会を辞めている
戸田城聖氏の場合、確信犯に近いんだよねー
こうなるだろうと言っていた人と合っているというか合いすぎ
178:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 02:00:44
>>177
生まれ変わり、だってさww
179:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/16 02:03:19
>>105の香具師がなんで、法華経の智慧で言っていた池田氏と
変わらないようなニュアンスを言うんだろうなぁ~と思っていたら
慧妙の新年号に>>105のような事が「やさしい教学」で載っていたんだねー
ダメだよー それこそ創価の思う壺でさぁー
あれでは法華経の智慧と言っている事と変わりが無い
ブログに法華経の智慧のその部分と慧妙の記事、両方載せるから
創価新報ならびに聖教新聞は慧妙の記事を
慧妙はその法華経の智慧の対談を反論しなさい
180:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/16 02:05:07
>>178
では、貴方は死んだら何処へ行くの?
181:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/16 02:16:19
そうだ、一つだけ教えとくよ
あの五島勉は創価の池田大作の信棒者だったのをご存知だったでしょうか
実は、その言論問題が発生した時にベタ褒めした本を出しているんですよ
その後、例のノストラダムスの本をだして、みんな嵌ったんだよねー
しかも、一番、嵌ったのが女だったりもする
それに振り回された幸福の科学や講談社は間抜けだ
本当に女はおつむが弱いが信仰だけは熱心
創価を批判する毒女も入信したら いきなり池田マンセになるかもよ??
女ってそういう処が意外とある 意外と深く考えないから
182:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/16 02:28:31
>>181
>>その言論問題が発生した時にベタ褒めした本
誤解を真似かねない表現なので訂正
↓
その言論問題が発生した時に、池田大作を援護する本を出している
たしか創価系の出版社・・・
↓
・・・で、その本はあまり売れなかったのか
今度は「ノストラ」の文献を訳して本に出した
確か昭和49年頃だったと思う
183:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 02:32:23
>>181
五島勉が創価ヨイショ本を出してるとは知らなかった。
署名、教えてくれますか?
184:183
07/01/16 02:35:16
ありがと
185:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 02:42:22
>>177 有名人かあ
戸田先生は やまぐち百恵か? 皇太子かと思ってたが、、
牧口さんは、想像もつかない。 江原啓介に見てもらいたい。(笑)
186:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 03:01:34
池田大作という人 その素顔と愛と生き方
五島 勉著
出版 : 若木書房 発行年月 : 1977.2
この本ですね。
池田本がこれ一冊だけということは、ライターとして(たぶん高額のギャラで)書き下ろしただけでしょう。
池田の信奉者ではないと思います。
187:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 03:12:17
>>182
>・・・で、その本はあまり売れなかったのか
今度は「ノストラ」の文献を訳して本に出した
順序が逆で、「ノストラ」のヒットで有名作家になった五島の知名度を
創価が利用したのでは。
188:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 04:05:56
生命の若者たち 池田会長と一千万人の記録
五島 勉著
出版 : 大和書房 発行年月 : 1970
こういうのもあった。
やっぱ、池田本が先か。
189:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 11:04:43
>>179
ちょっと、君がいったい何を言っているのか理解できない。
そもそも慧妙新年号がどうとか、勝手な憶測で決めつけてまで
何が言いたいんだい?
秩序立てて説明してくれないか?
あ、別に説明してくれなくてもいーんだけど。あなたのレスってムダに長いから。
190:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 11:22:46
>>177
>そう面白い事に2人とも創価には入っていない処か
>しかも戸田先生の生まれ変わりに至っては幼少の頃にやめている
3代目は初代・2代にも否定されているのだな。
3代でつぶれる象徴か!
191:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/16 13:46:03 wNPDe79p
>>176
ではなぜ日興筆「宗祖御遷化記録」の内容と矛盾した内容なのかね。
感情的な反論は創価や正宗からあるだけで、学術的に裏打ちされたものなど
皆無だろ。逆に、確かに日蓮の物だと証明してみなよ。
"釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も、残る所無く悉く日朗に付属する所なり"
これをどう説明するかたのしみだな。
五島勉の著作で、"生命の恋人たち"なんてのもあったっけ。
公明新聞のヨイショ記事に何度も顔写真入りで、出たこともあるな。
192:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 13:57:29
>>191
古いこと、よくご存知ですね。
創価としては、外部の御用評論家として五島を利用しようとしてたのか。
五島にとっても、高額のギャラはあり難かっただろうし。
ただ、「ノストラダムス」とういう金脈を掘り当ててからは、提灯記事を書く必要はなくなった、と。
193:yuriko
07/01/16 15:22:26
>>172
>武田家の増山権右衛門が強奪したのは北山で、大石寺が所有したとの記録は
只の一度もない。
→そうでした。
北山が日蓮宗化したのは、随分後になってからですね。
そもそも、僧侶がまとう衣を「薄墨」→「色衣」にしてしまったのですね、
要法寺は、かろうじて、日興門流を後々まで(現在でも)守っていたのに、残念ですね。
194:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 16:03:15
>>191
そもそも、なんでここで
日朗御譲状が出てくんの?
御遷化記録との矛盾て、日朗譲状のこと?墓所可守番帳事のこと?二箇相承?
日朗譲状は、それこそ偽書説が有力だよね。稲田海素氏も真蹟に非らずと判じてなかった?
そもそも「墓所可守番帳事」ってのは、「御遷化記録」の末尾第五紙に連なってるもので
各継ぎ目に四老(日昭・日朗・日興・日持)の書き判がされてるちゃんとしたものだぜ。
筆致も日興上人の正本であって、現在は西山蔵だよね。
対して、「久遠寺番帳事」は現在は池上に所蔵といわれてるけど、
老僧の各判形はまったく別物、本文の筆跡も日興上人のものではなく、
番衆の内容も入れ替わっていて、まったくの偽書だってのが通説。
195:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/16 17:41:12 OUJr6wZH
>>194
そーゆー事。
日朗御譲状なんぞ偽書だけど、何が本物で何がニセモノなのか区別付いてない
人物にとっては、どんな言い逃れをするのか見てみたいのだよ。
池上の守番帳と配分帳、あれはイクないね。
196:yuriko
07/01/16 18:49:59
★一谷入道御書
【建治元年五月八日、一谷入道妻女、聖寿五十四歳、真筆-断存】 此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべし。人如何に云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給ふべからず。
『又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用ひあるべからず。』
→もうしつこくスレタイから逸れて書き込みしてますが、
スレが流れるよりましでしょう。
そこで、私も乗せられて、最後のとどめを刺しておきましょう。
この御書は真筆です。
ここで伺われるのは、大聖人は、それなりに「自分の教団の権威とか秩序」を意識していた、
ということです。
歴史上の釈尊が、自灯明 法灯明を唱え(涅槃経)、教団の権威の永続化を図らなかったのとは
ちょっと違っています。
そんな中、当時、人が死ぬことが日常茶飯事だったとき、しかも、自分を日本の柱とまで
称した日蓮大聖人が後継者を定めずに遷化される筈もないのです。
というか、日興上人のみが、少年時代から大聖人に仕えていたから、その後を継ぐのが
教団の中でも、当たり前のことと「暗黙の諒解事項」だったと思います。
たしかに、日蓮大聖人は、日郎に特別な目をかけていたでしょうが、
それと後継者は別でしょう。
でも、こうして歴史を眺めると、
あまりに偉大な師を持った為に、後継が育っていかないというのは、
日蓮系教団の宿命のような気がします。
それを考えると、池田創価学会はどうなんだろうと、思うけど、
実質的には、とっくに、分裂しちゃってるのかも知れませんし、これからも、
もっと、細かく分かれるような気もしてます。
197:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 19:34:46
>>195
おい、
>>176と>>194は同一なんだが。つまりオレ。
君、自分が>>191で日朗譲状の一文を持ち出しておいて
>そーゆー事。
とはどーゆー事???
もともと二箇相承をとくに根拠も示すことなく「偽書」だと決めつけてかかってきたことから
はじまってんだけど。
ま、スレ違いだしもういーや。
198:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/16 20:22:51 hdMg6DEA
なんだよ、つまんないな。
せっかく過疎スレで大物が釣れると思ったのにな。残念。
>>196
該当部分の真筆は、存在していないよ。また、文中(真筆無い部分だが)
"去文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国"だから建治元年ではなさそうだな。
"鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す"の取り方により、
建治2年か3年と、みられるな。
エラくスレ違いになっちゃったんで、これでオシマイだな。
199:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 20:35:58
URLリンク(www11.atwiki.jp)
宗教団体による被害者リンク集まとめ@Wiki - 創価学会
ガッカイインとアンチが編集記事を巡って書き争っているよ。
200:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 21:07:09
結局、自分が指摘されたことについては明確な説明をせず、と。
>>191でいきなり日朗譲状を持ち出した意味はなに?なにか勘違いでもして出したんじゃないの。
気持ち悪いからそこだけ説明してから落ちてくれよな。
201:ミ,,゚Д゚ノ,っ━~
07/01/16 22:11:34 EJt5HbC8
>>200
ん、ワリィな。
普通の基礎知識の無いバリだったら、どーゆう風に他を貶めて
自己を正当化するのかを、見る為の撒きエサのつもりだったんだよ。
202:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/16 22:38:23
>>201
なるほどね。
しかし、そういうやり方は漏れは好かん。
確かに、
バリの中には、与えられた知識に裏付けを必要としないまま、
それが常識であるかのように垂れ流す人間多いが。
しかも、教学試験等で積極的に教義を学んでいるようなのに限ってな。
(「信仰上の信条」という観点を加味したとしても、あまりに根拠を無視することが多い)
ちなみに、層化と正宗いっしょにすんなよ。
板本尊偽作についても、三大秘法抄についても、二箇相承もそうだが
正宗当局としては、弁駁・反論は理路整然としているはずだ。史料も種々ある。
層化のバカヤロー隊のような体質と一緒にしない。
それにしても、頭のいい君が他人の力量を試したいのなら
端的に質問すれば良いだけのことだと思うね。
ま、なんにしてもスッキリしたわ。じゃーねノシ
203:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/17 16:23:54
>>185
皇太子 なるほどね~
でも 戸田先生の性格からして それは無いと思う
女性に生まれ変わって大スターになってみせるとか
生前に言っていたので 多分、違うと思う
因みに私も皇室に生まれ変わるのは残念だけれど嫌だ
色々と重圧がかかってしまうので あんまし良い生活とは思えないんだよ
また仮に過去世 そうであったとしても
せいぜい 「過去の懐かしい思い出」程度に止めて置きたいのが本音で
今は戻りたいとも思わない
過去世を言及すると言う事は
幸福を求める際、結構、大事な事かも知れないね
科学にせよ 何処の宗教にしてもそうだけれど、それに関しては追求、否、無視すらしていないかい?
死後の世界は論じる事があっても
生まれる前の自分に関しては 「ムー」程度しか聞かないのは何故なのだろうか?
本果妙をクリアしない限り、本因がおかしくなる事だってある
宿業論にしたって その宿業の因が解からなければ 永遠にお詫びしっぱなしで
地獄の環状線だよ
そういった意味で江原氏の存在は
今後切り開く意味においては 結構 有難い存在かもしれない
ただ、正確に当てることは、今の段階では 厳密に難しいんでしょうねー
全部、仮定式の範疇なので・・・
まぁ・・・譬えて言うならば天気予報や地震予知と似たものがある
死後の世界もそうなんだけれどね
204:yuriko
07/01/17 16:34:47
>>107 ecoさん
>池田氏の考え方は意外だが二進法なんですよ
>二進法なのですが、計算式の組み方が下手糞で
>ちゃんとした式が立てられないし おかしな答えが出来てしまう
→二進法というと、「猪突猛進型」ということでしょう。
別の言い方でいえば、ニュ-トン式思考法なんでしょう。
しかし、この思考法は、戦後の高度経済成長期から、バブル経済に続く、
日本人の思考パタ-ンだったと思いますね。
池田先生は、福田赳夫氏や松下幸之助氏との交遊を自慢したことがありますが、
その思考パタ-ンが互いに共鳴したのでしょう。
しかし、現代は、「多元思考」や「多様文化主義」というのは、もうどうしょうもない現実でしょう。
言い換えれば、「文化的相対主義」の立場を取らなければ、国家としても、企業としても、
個人としても、生き残っていくことは難しいでしょう。
そういう点からいえば、相変わらず宗門攻撃を最大の活動の原動力にしている
創価学会に、あまり明るい未来は、待っていないと思います。
やはり、池田先生は、指導者として、年をとりすぎたのです。
タ-ニング・ポイント by フリッチョフ・カプラは、現代に必要な、「全体への概観思考」という、
東洋的=法華経的発想法を提案しています。創価学会員も、読んで欲しいのですが。
205:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/17 16:35:50
>>186-188 >>191
ソースのご提供を有難う御座います いやぁ・・・絶版になっていたので
>>183の問いに対してどう答えようかと思った
因みに、その3冊と>>191で紹介された本は家にもあった筈で、かなり前に読んだ事がある
それはともかくとして、そのほか五島勉氏は
実を言うとノストラの予言シリーズを書いた後も
創価学会のセミナーかなんかで講演もしているんですよ
だから創価学会の言う事と五島氏の言っている事は正反対なので
違和感があったよ
だってあの頃の創価はとにかく
希望の21世紀を宣伝文句にしていたのに対し
五島氏はその手前の年で人類滅亡を宣伝文句にしていたからねー
受け手にとっては流石に( ゚д゚)ポカーン
206:yuriko
07/01/17 16:38:47
続
タ-ニング・ポイント by フリッチョフ・カプラは、現代に必要な、「全体への概観思考」という、
東洋的=法華経的発想法を提案しています。創価学会員も、読んで欲しいのですが。
207:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/17 20:15:14
オイラが>>107のような事を思ったのかというと
あの方、言っている事が立派な割には深みがないんですよ
戸田城聖氏のレコードを聞いた事があるのですが
やっぱり聞いてて中身が戸田先生の方が深かかったり 上手かったり
しかも戸田氏の先見性は今になって通用して来て、尚更、恐ろしいし
聞けば聞くほど深みが大きいんですよ
声仏事をなすとはこの事なのかなぁー
・・・と、例のレコードを聴いていて思いましたよ
また法華経の智慧にしたても、役に立つ部分はあるものの
やはり、アレは戸田先生のコピーにしか過ぎず
しかも 前の章と次の章では180度違う事を言っているので
余計 混乱させている一面もあったりする
会員の方は、池田氏の書物や講演が多いので
さも全てが池田氏の方が深いと思う会員が多いようですが
調べていけば戸田氏が原型を作っていて
同じ事を言っている会話も出てくるので見比べてみればいいよ
その部分は内容が薄いから
208:yuriko
07/01/18 11:49:07
戸田先生は、牧口先生と共同で創価教育学会を創立しました。
しかし、自業自得とはいえ、軍国主義政府から弾圧され、崩壊してしまいます。
そこで創価教育学会を創価学会という純粋な宗教団体にして再建するのですが、
実質的にマイナスからの出発だったのです。
それを独特のビジネス感覚と、深い人間的洞察に助けられ、太当たりしたのです。
結局、実質的に、戸田先生は、300万世帯+を成し遂げたのです。
池田先生の貢献を、徒に低く見積もるのは間違ってますが、
師匠より、五倍の時間をかけて、規模だけでは、二倍にしました。
人間的器や教養を考えても、池田先生と戸田先生を比較対照すること自体が間違ってるのです。
戸田先生こそが、カリスマ中のカリスマといえると思います。
209:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/18 12:11:43
>>207
>あの方、言っている事が立派な割には深みがないんですよ
戸田城聖氏のレコードを聞いた事があるのですが
やっぱり聞いてて中身が戸田先生の方が深かかったり 上手かったり
しかも戸田氏の先見性は今になって通用して来て、尚更、恐ろしいし
>聞けば聞くほど深みが大きいんですよ
同感です。代作さんは、「わたすがやったんです」「私だけです」
という体験の自己宣揚以外は、識者の言葉や戸田先生の言葉や
日蓮大聖人の言葉の自分にツゴウのいい引用ですから。
210:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/18 15:51:04
>>208
日連正宗や、創価学会でも獄中の悟りを話題にしますが
戸田氏の場合、それだけでは悟れなかった筈で
元から戸田城聖氏は悟れるだけの要素を持っていたんですよ
確かに「創価教育学会」は牧口氏が設立した団体ですが
実質的には戸田城聖氏が団体を作ったようなものと考えても良いでしょう
この点は牧口氏の著書「創価教育学会体系」と言う論文の序章で、その事を仄めかしています
当時、牧口氏の論文はバラバラな状態で 戸田氏がそれを整理し、実質、運営にあたりました
だから戸田氏がいなければ成り立たなかった可能性も否めなかったのです
また、戸田城聖氏は頭の回転が物凄く良い人だったんですよ
何せ、10代から教師をやれるだけの実力があり
教師を辞めても時習学館や推理式算術なんて本で大当たりするのですから
(この本は再版しないのかなぁ・・・公文式のハシリにも なっている筈です)
それだけに 先見性と思考の展開が鋭かったので、
譬え、日蓮宗の法華経を読んだとしても 身をもって読むことが出来き
その事を展開する事も出来たわけです
だから、戦後、日連正宗の礎に貢献する事も出来たし
堀ゲイカとも話が合い 色々と語れ 御書の整理や作成が実り
正宗でも、身延に負けずに語れるようになったのです
また、あの方は、法主になるだけの資格も要素もあった筈だよ
もしも戸田先生が居なかったら
あの当時の状況から鑑みて、戦後間もない頃に「腐っても鯛」みたいな状態に陥って
北山のような状態になっていたかもよ
そういった意味では、戸田先生の存在は創価学会にとっても
日連正宗にとってもカリスマ中のカリスマだと言えるでしょうねー
211:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/18 15:52:18
結局、創価学会も戸田先生の境涯には、誰もついていけなかった
・・・が、信者の中には もしかしたら居るかもしれない
特に死の淵に立たされた人ね
そういった方を2人程 知っているけれど
その方々は信仰と言う面の捉え方が 全く違っていて 謙虚なんですよ
212:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/18 16:09:25
>>209
聞いた事がある 面白かったよ
あの講演を聴けば 男女問わずみんなついていくし、解かり易い
でも、ああいう事が平然と出来ても
絵になる方は、北野さん と戸田先生だけ だろうなぁ・・・
因みに池田氏の講演も聴いた事があります
確かに 理路整然としていましたが
やっぱり・・・ 2匹目の鰌で・・・
固い上 言葉一つ一つに意外と冷たい雰囲気が漂っていたんですよ
そこで固くて冷たかったから戸田先生と同じ事をしたら
最低の状態になった
213:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/18 16:19:58
池田先生は講演をしても、どんな形をとっても
不思議と絵にはなっていない 何故か・・・
慣らされているとか そういうものでもないなぁ・・・
裸の王様なんですよ
214:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/18 17:02:38
やっぱり・・・ 嵐慧子さんと もう少し早く出会った方が良かったのかも知れないねー
ただ、彼女は結婚願望が全くなかったし 性一性の姿を求めていた感が否めないし
その上 26で他界しちゃったからなぁ・・・
残念です
215:yuriko
07/01/19 06:21:57
>>210 ecoさん
>あの当時の状況から鑑みて、戦後間もない頃に「腐っても鯛」みたいな状態に陥って
北山のような状態になっていたかも
→多分、そうなっていたでしょう。
「数が増えればいいというものではない」というのは、本当でしょうし、
日蓮大聖人が在世のとき、獲得した信者数も少なかったのです。
当時の、仏教界では、「怪僧」としか見られてなかったでしょう。
しかし、後に落語の題になったりして、庶民の間に一種のブ-ムを起こすまでになったのは、やはり、
日蓮大聖人の高弟達の活躍があったればこそでしょう。数は大事です。
大聖人自身も
諸法実相抄で、はっきりと「信者数を増やせ」と言ってるわけですし。
それで、やっぱり、「出鱈目」とはいえ、題目の功徳を広めた功績というのは、池田創価学会
にあると思います。一方、
やはり、現在の宗門は、「戒壇様」を飾っておけば、自然に信者が増えるという安易に考えがあるのではないでしょうか?
「僧侶中心」という主張も、「手柄は自分達に」という、一歩間違えれば、池田創価学会と同じで、
菩薩行から離れてしまうと思います。
一方、戸田先生をあまりに理想化はできませんが、自分を俗物と遜っても尚、
命懸けで、死身弘法の題目の福音=GOOD NEWSを伝えていこうという決意は、純粋で真実だったと思います。
大石寺にある戸田先生が寄進した大講堂は、いかなることがあっても、取壊すべきでない、と思います。
216:yuriko
07/01/19 06:25:54
続
一方、戸田先生をあまりに理想化はできませんが、自分を俗物と遜っても尚、
命懸けで、死身弘法の題目の福音=GOOD NEWSを伝えていこうという決意は、純粋で真実だったと思います。
大石寺にある戸田先生が寄進した大講堂は、いかなることがあっても、取壊すべきでない、と思います。
217:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/19 12:00:17
>>210
>だから、戦後、日連正宗の礎に貢献する事も出来たし
>堀ゲイカとも話が合い 色々と語れ 御書の整理や作成が実り
>正宗でも、身延に負けずに語れるようになったのです
誤認だろーにw
ほんと、あなたは見て来たように言いますねw
戸田さんは、信仰も厳格なものがあったでしょうし、
教学もできたと思いますけど
なにも、戸田氏の貢献によって身延と渡り合ったなんて
そりゃ何を根拠におっしゃってます?w
層化以前の宗史はあまり御存知ない?どっかでも言いましたが、
憶測やフィーリングで分析すんのはいいけど、垂れ流さないでね。
せいぜい「これは私の勝手な考えですが」と付してください。
>また、あの方は、法主になるだけの資格も要素もあった筈だよ
なぜあなたが認定できるのか知りたいw
>そういった意味では、戸田先生の存在は創価学会にとっても
>日連正宗にとってもカリスマ中のカリスマだと言えるでしょうねー
いーえ。南条時光さんとか長瀬清十郎さんとか、
宗史に名を残す大檀那の方はいます。戸田さんも信仰を貫かれた大檀那と言っていいでしょう。
しかし、カリスマと言うと「カリスマ的支配」とも言うように、あまり良い意味ではつかわれませんから
当てはまらないでしょう。そもそも、池田氏じゃあるまいし、あくまで戸田さんも一信徒ですからね。
彼によって日蓮正宗の信仰が成り立ってるわけではないから。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/19 12:09:40
>>215
>やはり、現在の宗門は、「戒壇様」を飾っておけば、自然に信者が増えるという安易に考えがあるのではないでしょうか?
>「僧侶中心」という主張も、「手柄は自分達に」という、一歩間違えれば、池田創価学会と同じで、
>菩薩行から離れてしまうと思います。
なんでそんな穿った見方ができるのか不思議ですけど、、、
>やはり、現在の宗門は、「戒壇様」を飾っておけば、自然に信者が増えるという安易に考えがあるのではないでしょうか?
なんでそう思います?
菩薩行の最たるは折伏ですよね。僧侶が中心にこれを牽引していくということを
なぜ、「手柄は自分達に」と、相反することに結びつけるんですか?
創価学会は、「正宗の寺院にかならず所属させること」と約定にありながら
その実態は形だけで、寺の行事と日程をかぶせて会館で行事を行ったり
その他もろもろ、全部創価で掌握しようと動いていたから
「手柄は自分達に」=「菩薩行から離れる」となっていたんでしょう?
一本化して、なんでこのことが当てはまるんですか?
>>216
>大石寺にある戸田先生が寄進した大講堂は、いかなることがあっても、取壊すべきでない、と思います。
鉄筋コンクリづくりですから、それは常識的に無理でしょう。
無理をしてまで拘る必要ないとおもいますけど。
言ってみれば、南条時光さんなどは、大石寺の寺域を寄進したわけですからその功績は大ですが、
過去において、その建物を壊し寺域を整備、建物を荘厳することに抵抗があったのでしょうか?
物事には優先順位があると思いますけど。石碑とかを残すのとはわけが違うと思いますが。
219:yuriko
07/01/19 18:46:34
>>218
>なぜ、「手柄は自分達に」と、相反することに結びつけるんですか?
>創価学会は、「正宗の寺院にかならず所属させること」と約定にありながら
>その実態は形だけで、寺の行事と日程をかぶせて会館で行事を行ったり
→私は、創価学会の肩を持つわけではありませんし、徒に、日蓮正宗僧侶を批判してるのではないです。
私達、日蓮正宗信徒にとって、法華経の精神こそ、その信仰の中心なるものです。
その法華経の主人公は、菩薩です。
大乗仏教の菩薩とは、声聞=仏弟子や縁覚=独覚とは違って、自らの身を犠牲にしても他者を
救おうとする人達です。
220:yuriko
07/01/19 19:03:15
続1
そういう菩薩を歌った古歌があります。
●人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に渡らぬ 渡守かな
美しいと思います。
日蓮大聖人は、人生の後半は、山の中に籠りましたが、生涯の殆どは、町中に出て、
直接信者達と交流し、他宗の僧侶を折伏しました。
辻説法を実際に行ったかどうかは別にして、それに似たことをしていたのです。
日蓮大聖人の直接の弟子で、分身散体を名乗るなら、師匠と同じことをするべきでしょう。
いわば、病人が来るのを待つ病院ではなく、山本周五郎「赤ひげ」のように、
「病人を探して歩く」ことこそが、宗教者の取るべき行動だと思います。
お講や登山会に力を注ぐのは最もですが、ちょっと違うんじゃないか、という思いはあるのです。
だからといって、創価学会の出鱈目ぶりに」対しても、腹に据えかねるのです。
221:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/19 22:15:08
>>220
方法論にとらわれすぎと思いますよ。
おっしゃりたいことは分かりますが。
前にも言いましたが、菩薩行(という括りもちょっと下手をすると語弊があるかもしれませんが)の
最たるものは、唱題と折伏だと思うんです。
寺檀和合してこのことに取り組むならば、
そこを基本線に分に応じ、状況に応じて工夫すれば良いと思いますよ。
具体的に「~すべき」と断じてしまうのは、動もすると執われることになると思います。
その枠から外れただけで「おかしいだろう」ということになりますし。
でも
>「病人を探して歩く」ことこそが、宗教者の取るべき行動だと思います。
>お講や登山会に力を注ぐのは最もですが、ちょっと違うんじゃないか、という思いはあるのです。
というのは分かります。実際、色々と工夫をして取り組みをされてる講中もあるようですよ。
ただ、あなたも日蓮正宗信徒だとおっしゃいますので申し上げますが
>「戒壇様」を飾っておけば、自然に信者が増えるという
こういう言い回しには、トゲというか、寧ろ層化に類似する不信心(不遜)な響きを感じます。
前向きな提案をしようというならば、もう少し言葉を選ぶべきだと思いますね。
それと、御講や登山も大切な善行でしょう。取り組むからには真心から行じるべきだと思いますね。
念のため、責めてるわけではないので、気を悪くされないように。
222:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/20 00:35:02
>>217
小樽問答は創価学会のお陰で勝ったようですが
あの時、何故、宗門の人間が、誰一人も来なかったのでしょう
しかも河辺住職はあの時、問答に参加する予定だった筈でしょう?
それが何故、誰一人として法論に参加出来なかったのでしょうか?
戸田城聖氏に任せっきりでは無かった筈ですよねー
それとも創価学会が宗門を妨害したのでしょうか?
あの時身延派はやり口が汚いと罵りましたけれどねー
確かに汚いやり方です
223:F ◆JgJAzfkQlM
07/01/20 00:44:26
1・皆さまへ様 私の友人の親戚に焼身自殺したお方がおります。場所は四国であり
宗教の優越感から そのお方には 疎外感もありました。
私は、10年以上経ってから知らされました そうは言いましても
その頃は私は、学生時代の友人と言うだけの存在であり霊医アトス様も
お傍には、いらっしゃらなかったのでお悔やみ一つ言えませんでした。
1様にお聞きしたい このような死を 迎えた場合も創価学会は、
最後までお世話して下さっておりますよね?
忠告です・・他の宗教から脱退させて入会させたのであれば どのような
終期を迎えたお方も 責任を持ってみるとしてください。
その男性は 死して四国の他宗教ばかりのお寺のどれも頼ることが出来ないようでは
騙されたとしか思えなくなりますからね 災いはそのような場合に存在しております。
貴方も宗教団体の一員なら 他のお方へも私の要望は 通して下さい。
死人の事にまで構っておられないでは、それ見たことか・・化けの皮が
剥げたなと思われるだけですよ。死して責任が伴うのが宗教の恐い所です。
(霊耳を書きます)貴方がたの宗教は いずれ衰退いたします。
Fが 生きてる内にでもそれらは 起こることでしょう。 ある事件を
切っ掛けに・・ それは、政治家にも関係があり癒着による物でしょう。
30年後には創価は 存在しておりません。 ある男性霊 その名はシルバーバーチ霊なり
シルバーバーチの霊媒 霊医殿のヒーラー そして愛人でも在る者F代打
224:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/20 01:01:22
>>217
戸田城聖氏が居なかったら日連正宗はどうなっていたか
貴方は答えられるでしょうか?
ここに興味を引く話があります
それは62代の法主の話です そう62代法主の御遷化は焼死です
戒壇の大御本尊があった場所で火災が起こり御身を焼かれました
この事は戸田先生は遺憾ながらも同情をしています
これはよしとして問題はここからです
この出火原因については 諸説があり 未だ謎な筈です
あの時の火災は犠牲者が一人 そう日恭ゲイカ一人と言うのも不可解ですよ
しかも、あの火災の中の本門戒壇の大御本尊だけは焼かれては困るといって
火災の中、何人かの小僧さんたちが入り込んで無事移動する事が出来た
・・・にも関わらず 何故?
見方によっては本門戒壇と心中でも??
そういえば、あの時、小笠原一派によって色々と問題がありましたよねー
225:eco ◆Smw69BiSBo
07/01/20 01:07:47
>>217
層化以前の宗史でも 問答があったのは御存知ですよ
有耶無耶にされたのも含めてね
横浜問答なんかその典型じゃないですか?
しかも貴方達まで国立戒壇なんておかしな事を言い出す始末
それに流されて結成された講が あの顕正会じゃないですか?
また皮肉な事に大石寺内でも、血脈による問答もあったそうですね