07/01/19 22:15:08
>>220
方法論にとらわれすぎと思いますよ。
おっしゃりたいことは分かりますが。
前にも言いましたが、菩薩行(という括りもちょっと下手をすると語弊があるかもしれませんが)の
最たるものは、唱題と折伏だと思うんです。
寺檀和合してこのことに取り組むならば、
そこを基本線に分に応じ、状況に応じて工夫すれば良いと思いますよ。
具体的に「~すべき」と断じてしまうのは、動もすると執われることになると思います。
その枠から外れただけで「おかしいだろう」ということになりますし。
でも
>「病人を探して歩く」ことこそが、宗教者の取るべき行動だと思います。
>お講や登山会に力を注ぐのは最もですが、ちょっと違うんじゃないか、という思いはあるのです。
というのは分かります。実際、色々と工夫をして取り組みをされてる講中もあるようですよ。
ただ、あなたも日蓮正宗信徒だとおっしゃいますので申し上げますが
>「戒壇様」を飾っておけば、自然に信者が増えるという
こういう言い回しには、トゲというか、寧ろ層化に類似する不信心(不遜)な響きを感じます。
前向きな提案をしようというならば、もう少し言葉を選ぶべきだと思いますね。
それと、御講や登山も大切な善行でしょう。取り組むからには真心から行じるべきだと思いますね。
念のため、責めてるわけではないので、気を悪くされないように。