07/01/19 19:03:15
続1
そういう菩薩を歌った古歌があります。
●人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に渡らぬ 渡守かな
美しいと思います。
日蓮大聖人は、人生の後半は、山の中に籠りましたが、生涯の殆どは、町中に出て、
直接信者達と交流し、他宗の僧侶を折伏しました。
辻説法を実際に行ったかどうかは別にして、それに似たことをしていたのです。
日蓮大聖人の直接の弟子で、分身散体を名乗るなら、師匠と同じことをするべきでしょう。
いわば、病人が来るのを待つ病院ではなく、山本周五郎「赤ひげ」のように、
「病人を探して歩く」ことこそが、宗教者の取るべき行動だと思います。
お講や登山会に力を注ぐのは最もですが、ちょっと違うんじゃないか、という思いはあるのです。
だからといって、創価学会の出鱈目ぶりに」対しても、腹に据えかねるのです。