07/01/16 18:49:59
★一谷入道御書
【建治元年五月八日、一谷入道妻女、聖寿五十四歳、真筆-断存】 此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべし。人如何に云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給ふべからず。
『又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用ひあるべからず。』
→もうしつこくスレタイから逸れて書き込みしてますが、
スレが流れるよりましでしょう。
そこで、私も乗せられて、最後のとどめを刺しておきましょう。
この御書は真筆です。
ここで伺われるのは、大聖人は、それなりに「自分の教団の権威とか秩序」を意識していた、
ということです。
歴史上の釈尊が、自灯明 法灯明を唱え(涅槃経)、教団の権威の永続化を図らなかったのとは
ちょっと違っています。
そんな中、当時、人が死ぬことが日常茶飯事だったとき、しかも、自分を日本の柱とまで
称した日蓮大聖人が後継者を定めずに遷化される筈もないのです。
というか、日興上人のみが、少年時代から大聖人に仕えていたから、その後を継ぐのが
教団の中でも、当たり前のことと「暗黙の諒解事項」だったと思います。
たしかに、日蓮大聖人は、日郎に特別な目をかけていたでしょうが、
それと後継者は別でしょう。
でも、こうして歴史を眺めると、
あまりに偉大な師を持った為に、後継が育っていかないというのは、
日蓮系教団の宿命のような気がします。
それを考えると、池田創価学会はどうなんだろうと、思うけど、
実質的には、とっくに、分裂しちゃってるのかも知れませんし、これからも、
もっと、細かく分かれるような気もしてます。