08/09/12 23:30:37 I+XPOlUM
■日本人が見た朝鮮国の風俗・風景
明治9年(1876)6月、日本政府は宮本小一外務大丞の朝鮮国京城(ソウル)
への派遣を修信使に伝えた。日朝修好条規第十一款に基づき、条規付録ならびに
通商章程を協議決定するためである。
宮本小一は、後に「朝鮮政府接遇記略及風俗概要」なるものを提出しているが、
朝鮮国の衣食住や人々の風俗がよく描写されており、とても興味深い。ここでは、
さらに日記録である「朝鮮理事日記」と同行した陸軍士官の報告である「朝鮮紀行」
文をあわせて、その中から風俗に係る部分をまとめてみた。
URLリンク(f48.aaa.livedoor.jp)
●風呂場と便所
途中の各官庁には風呂というものが無かったが、ここ清水館では日本人のために
風呂場が新たに作ってあった。その広さ10坪ほど。湯を汲み入れて使うが、頗る爽快であった。
また、便所も数箇所仮設してあった。これも日本人のために作ったと言う。
しかし粗末な藁葺きで不潔であった。
途中の宿には敷地の一隅に便所が設けられていたが、頗る不潔で堪え難かった。
また、部屋に銅製の蓋付きの缶があり、通常はこれで用足しをするという。
普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも
満ちて煩わしく、耐えられない位である。雨が降る日だけ臭気が治まった。
ここでは蚊および蚤はまれであった。しかし、浅間艦から士官3人が連絡のために
仁川から来たときに民家に宿泊したが、夥しい蚊と蚤のために、ついに一睡も出来なかったと言う。
日本人のためにこのように浴房を設け、数箇所の便所を作ってあるが、
これは京城近傍では奇なる風景だと言う。