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【コラム】大統領のずるさと二重性(上)
われわれは今日、大韓民国の第17代大統領を迎えた。17代目ともなれば、大統領という
人物、大統領という地位がどんなもので、どうあるべきかを理解できてもよいはずだが、
われわれにとって大統領は依然「怪物」のままだ。大統領とは帝王のような存在なのか、
それとも公僕なのかはまだ分からない。
これまでの経験から言って、政治の本質はずるいものであり、大統領も相対的にずるさを
持たざるを得ない。言い換えると、大統領の包容力が強く和解に走れば、無気力で機会
主義的だと批判される。大統領が細やかなことを気にして事務的ならば、指導者の器では
ないと言われる。実用的な政策を追求すれば、哲学がないと非難される。
大統領が慎重すぎれば、勇気と決断力が足りないと言われ、分別を発揮すれば小心で
左顧右眄(さこうべん)していると揶揄(やゆ)される。目標が適切でも手段を誤ったと言われ、
手段と方法に忠実になれば目標がうそだとの非難を受ける。また、民主的な手続きに忠実に
なれば統治力を欠くと言われ、統治力に依存すれば独裁的で傲慢だとの批判を免れない。
さらに、困難な決定を一人で下せば、チームワークを欠き独善的と指弾され、合意を重んじれば
無責任で消極的との非難を甘受しなければならない。
大統領としては混乱してしまう場面が多いはずだ。退任した盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が
「大統領はやってられない」と愚痴をこぼしたことに政治的な意図はなかっただろうが、大統領と
いう地位が持つずるさや二重性を吐露したのかもしれない。李明博(イ・ミョンバク)新大統領が
信用してともに仕事に取り組める人を探そうとすれば、「コ・ソ・ヨン(高・所・嶺)」すなわち、
高麗大出身、所望教会関係者、慶尚道を指す嶺南というキーワードに該当する人物に
ならざるを得ない。また、能力には財力が伴うもので、財力がなくても能力がある人を
探そうとするのは至難の業だ。
金大中(キム・デジュン)顧問
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