08/03/15 20:26:01 eIjmBxhl
シナが漢朝の時代、カラ半島の最南端に韓(カラ)という国があったという記録がある。
このカラこそ、稲飯命が建てた『シラキの国』である。
正式には、『カラ』が正しい国号だったのであり、シラキとは首都の名前である。
シラキとは「知ら城」という意味であり、カラを統治するための都市のことだ。
シラキという都市がカラの東部(現在の慶州の位置)にあったことから、
シラキ(知ら城)を中心とするカラ東部地方を『シラキ』と呼んでいたのだ。
またカラ西部地方は、シラキから見て日が沈む方角なので、降ら(クタラ)と呼ばれていた。
「日が降る(クタル)土地」という意味だ。
百済が「クタラ」と呼ばれるのはそういうことなのである。