韓国マスコミ今日のホームラン!!182at KOREA
韓国マスコミ今日のホームラン!!182 - 暇つぶし2ch671:マンセー名無しさん
07/08/05 18:39:20 hZZ1VX0Q
>>670
「朝鮮はあまりにも日本を知らなかった」(下)

われわれ韓国人は18世紀という時代を「実学の時代」と認識しているが、まさにその18世紀の朝鮮通信使は、
変わり行く日本思想界の流れを見逃し続けていたというのだ。1748年の通信使派遣(戊辰使行)当時、赤間関の
学風は朱子学から徂徠学へ完全に移り変わった状態だった。しかし、製述官朴敬行(パク・キョンヘン)を
はじめとする朝鮮通信使たちは、特別な関心を傾けることはなかった。1763年の通信使派遣(癸未使行)に至って、
ようやく朝鮮通信使たちは「一体、徂徠学とは何ぞや」と探索を行なったものの、すでに徂徠学は衰退期に
差し掛かっていた。この時期の日本の学界は、西洋の学問である蘭学までも拒否しない開放的な学風に
移り変わっていた。それでも通信使たちの視点は、依然として「正学」と「異端」を分ける段階にとどまっていた。


 朝鮮通信使たちが文化的優越感に溺れ、日本の学界を無視したことは断じてない。彼らは日本の情報を
把握することに大変積極的だった。問題は、次々と変化していく日本の変化をきちんと分析するには彼らの
思考方式があまりに硬直化しており、中華的秩序と朱子学的思想体系を捨て去ることができなかった、
ということだった。赤間関にて、日本の学者山県周南が「李退渓の文集はもう読んでみた」と語ったのは
1711年のことだ。これに対し朝鮮通信使は、 1748年に至ってようやく日本の著名な儒学者である
伊藤仁齋(1627-1705)の文集を求めたことが分かっている。

 具博士は「朝鮮は日本を把握するのにかなり多くの時間を要したが、日本は釜山の倭館と対馬を通して常に
朝鮮の文物を輸入していた」と語った。「日本は朝鮮をよく知っていたが、朝鮮は日本をあまりにも知らなかった」と主張している。

URLリンク(www.chosunonline.com)

(上)から考えられる結論を見事にうらぎってくれました。
通信使たちは情報把握に積極的だったそうです。ただ、そのテンポが遅かっただけで…


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