07/07/22 22:48:05 5wa8yc2h
「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民
ソウル松坡区石村洞にある三田渡碑(史蹟101号、1639年建立)。幅1.4メートル、高さ5.7メートルの大理石(32トン)で
作られたこの巨大な石碑は、丙子胡乱で敗れた朝鮮が、清の太宗の要求に従い太宗の功徳を記した「屈辱の石碑」
として有名だ。また、碑面に漢字・満州文字・モンゴル文字の3つの文字が一緒に刻まれている珍しい遺物でもある。
三田渡は、南漢山城で47日間抵抗を続けた仁祖が屈辱的な江華協定を結んだ恥辱の場所として、金薫(キム・フン)の
ベストセラー『南漢山城』にも重要な作品の舞台として登場する。だが、「朝鮮の屈辱の象徴」である三田渡碑は、
今や付近の住民らに「厄介者」扱いされ、石碑の移転も本格的に推進されている。
「元々違う場所にあったのに…」住民らの不満
今月16日、記者は三田渡碑を訪れた。石碑の周囲は公園のように整備されていたが、石碑を訪れる人はほとんどなく、
わびしい雰囲気が漂っていた。石碑の周辺には雑草が生い茂り、タバコの吸い殻とビールの空き缶が散らばっていた。
さらに、昨晩ホームレスが段ボールを布団代わりに寝ていた痕跡も残っていた。
こうした情景に相応するかのように、住民らの石碑を眺める視線も温かいものではなかった。パク・クムジャさんは
「いくら文化財とはいえ、町内の発展を妨害するのは困る」と話した。幼稚園の子供を持つある親は「毎晩のように
不良少年たちが酒を飲み、タバコを吸うなど、非行の場として悪用されている」と眉をひそめた。また、付近の不動産会社
代表は「地下鉄8号線の石村駅が目と鼻の先にあるという優れた立地条件にもかかわらず、三田渡碑のせいで商圏が
死んでしまっている。“石碑を移転すれば、不動産が相応な価格に上がるはず”と不満をこぼす声が多い」と語った。
こうした住民らの移転要求が高まっている背景には、石碑がそもそも元の位置とは違う場所にあることも1つの理由として
挙げられる。三田渡碑は1963年の大洪水で流され、石村湖周辺で発見された。その後、石村洞百済古墳群付近に移転され、
83年にそこから東側に300メートル離れた現在の位置に移された。(以下略)
URLリンク(www.chosunonline.com)
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撤去まだ~