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事実と主張を徹底的に区別した韓国現代史
【新刊】千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』(知識産業社)
1941年12月9日、大韓民国臨時政府は「対日宣戦声明書」を発表した。「韓国の全人民は
現在、すでに反侵略戦線に加わっており、1つの戦闘単位として枢軸国に宣戦する。韓国
・中国および西太平洋から倭寇(日本)を完全に駆逐するため、最後の勝利を得るまで血
戦する」
しかし、国際情勢は韓国を国際社会の一員として認めなかった。1943年12月1日、米英中
の3カ国は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に朝鮮を自主独立させるようにす
ることを決定する」というカイロ宣言を採択した。日本の植民地から解放される(日本が敗
戦する)20日前の45年7月26日、3つの同盟国は再び「“カイロ”宣言ノ条項ハ履行セラル
ベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラ
ルベシ」と、ドイツのポツダムで宣言した。
解放後、独立した統一国家が建設されるかと思われたが、38度線の画定や南北の米ソ軍
政、米ソ共同委員会の決裂、韓国問題の国連上程といった国際関係の変化に伴い、南北
別々の政府が建てられることになった。日本帝国主義の末期から大韓民国が建設される
までの約10年間、韓国は激変する国際社会の渦中の真っ只中にいた。この時期ほど国
内・国際的に数多くの事件がかさなったことはなかっただろう。そのため、一般人はもちろ
ん、この時期を研究課題とする研究者たちも、多数の事件と記録の海をさ迷うことになる。
同書は、膨大な資料の中から重要な事件を年代順に選び出し、該当する第1次文献を提
示した後、解説をつけている。解放直後、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)を中心とする建国準備委
員会宣言文、「連合国総司令官の命令に違反した者は処罰すること」を宣言した米第8軍
司令官ハジ中将の布告文、38度線を画定した「連合国最高司令部一般命令第1号」などの
文献を読むと、大韓民国の建国過程がありありと蘇る。解放後の歴史における主な史料や
その意義が1冊に集約されているのだ。