07/06/03 22:55:51 D0bKPm2t
山城の岩屋山城は、高橋紹蓮が島津義弘相手に2週間持ち堪え、
全軍玉砕と引替に、島津軍の精兵1600人を血祭りに上げた。
平城の伏見城は、鳥居元忠が十万に至る西軍相手に三日間防御戦を守り通し、
内応者を出すまで微動だにしなかった。
戦国時代の戦いって、城を包囲した後は説得、敵将の一人を討ち取っては再度説得の繰り返し。
それは、城の防御力が高いために、本気で攻城戦に入ると多大な犠牲を伴うから。
開戦後二ヶ月で平壌までごぼう抜きに落とされる地方の城から学ぶものなんか無いって。
陶芸は学ぶものがあったから工人を連れて帰った。ただそれだけのこと。