07/05/31 01:02:31 luhSzxQ7
>>404
>>104
ちなみに、日本の城郭研究はここ20年で大きく進歩した。
千田嘉博著「中世の城を歩く」は、その成果をよくまとめてあるから
疑問があるなら一通り読んでみて。その上で熊本城朝鮮技術説を考えてみるといいよ。
山城という過程を経て、石垣による縄張りで地形の制約を受けずに防御力を高め、
反面犠牲にされた展望を天守によって補った日本の織豊城郭と、
天然の丘陵を利用し、中は普通の建物が中心。曲輪も特になく、高い塀の内側で防御、
破られればそれで終わりの朝鮮系山城とは、構造も防御の概念も全く異なるものだ。
当時、朝鮮半島からは焼き物で大きな影響を受けた。城もあちらの瓦が少量使われた。
(朝鮮の瓦が優れてたんじゃないけど)しかし城郭建築という意味で見習った部分は認められない。
ひょっとしたら工人が部分的に関わったかも知れない。がそれ以上はない。
この部分は明らか。