07/05/29 16:46:52 J/Qdbekz
一応専門の俺が来ましたよ。
朝鮮出兵後、朝鮮工人によって瓦がつくられたのは本当。独特の叩き目瓦が西日本にある。
また、日本の建築になかった滴水瓦は、朝鮮出兵後に大陸風の建築を真似たもの。
ただ、熊本城ではそれらは認められていなかった筈だが。
最近修築なったんで話題性からそんな説が出ただけの可能性大。
なお、石垣を組む技術は、織豊期からの積み上げで、朝鮮工人が関わっていたとしても、単純労働以上のものではない。
当時は城造りのスペシャリスト穴太(あのう)衆が活躍していて、彼らが技術を洗練させていた。
>>99朝鮮式山城ってのは、日本でも造られてるよ。白鳳時代に。
高い山の裾にぐるっと塀を巡らせるもので、防御施設も反抗拠点もない、原始的な造り。
彼らの築城技術は千年間全く変化がなかった。それを平和的というかは知らないが。
日本では南北朝期から独自の山城が出現し、戦国時代に地形を活かして
複雑な縄張りを施し、虎口や空堀を設けて巧みに防御する形態になった。
朝鮮出兵時にも日本軍によって城(倭城)が築城されるが、
明軍によって正面撃破された倭城は一つもない。