08/02/14 21:35:43 JeyJBmFZ
>>791さん
お疲れさまです。もう残り少ないのですね。。。
それにしても「父」かぁ。自分は絶対に言ってもらえないセリフですね。
旧日本軍って言うと、いじめがひどいとか縦の関係に余りよいイメージがないので
(もちろん、戦後のネガティブな教育のせいだとは分かっているのですが)、
こういうお話は心が温まります。
>後者の方は、興味の或る方が居るようでしたら、追加で紹介できそうです。
興味あります。ノシ
968:マンセー名無しさん
08/02/14 22:14:30 7YaImpT3
乙
969:マンセー名無しさん
08/02/14 22:26:59 XnSKdujP
>>967
軍隊でぶんなぐってた上官の中に、朝鮮人軍人も
いたんだよ。
970:醜男 ◆SiKoOok7TQ
08/02/16 21:09:01 L487ukuu
∩_∩
(*´・(ェ)・) ∫ 残り少ないから遠慮してるのかな?新しいの立てとくね。
//\ ̄ ̄旦\
// ※\_(,;;゚;)_\ヾ∩∩
\\ ※ ※ ※ ヽ-(ェ)-)
\ヽ-―――ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
971:醜男 ◆SiKoOok7TQ
08/02/16 21:10:59 L487ukuu
∩_∩
(*´・(ェ)・) ∫ ハイよ♪
//\ ̄ ̄旦\
// ※\_(,;;゚;)_\ヾ∩∩
\\ ※ ※ ※ ヽ-(ェ)-)
\ヽ-―――ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次
爺さんの体験談代筆スレッド 巻の二
スレリンク(korea板)
972:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 01:06:54 WVD5r2il
乙です、しかし遠慮していた訳ではなく、単にテキスト起こしを
していなかっただけなのです…ナンカ シンパイ カケサセチャッタ カナァorz……
日曜ですので、一編くらいは起せると思います。というか、いい加減
進めねば。
973:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 01:49:51 WVD5r2il
○○○○(※:爺様や俺が在住する地名です)
「秋の日の静かに暮れて旅情生む」
何時かは戦友の皆様を私の故郷のひなびた温泉へもお招きしようと思って居りました所、
この度ご賛同を得まして有難うございました。
見られた通り私の郷土も時の流れに従って、東京の近隣でビルの林立に洗われ、小さい
時の兵隊ごっこの野原や、小鮒釣りの川づたいも住宅地化して昔の面影を無くして、新住
の人達で埋まってしまった。戦友の皆様には大したご案内出来ず恐縮して居ります。
只見て頂きたかったものに、当駅から上へ五百米の所に天然記念物樹齢一千年の大欅を
見て頂きたかったものです。写真を添えて置きました。樹の廻り十四米、高さ二十米とも
言われて居ります。翌日神奈川の屋根、大山も天気が良くて、秋の散策を楽しんで頂けた
かと思います。
974:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 01:50:13 WVD5r2il
招魂碑
今から四十五年位前になるかな、シベリア労苦の帰還兵として降り立った故郷の駅には
懐かしい村人達が小旗を振って、「ご苦労さま」「ご苦労さま」と迎えられ、鎮守の森ま
で行列して下さった。丁度駅からの道は見渡すかぎりの桑畑と黄色く熟れた麦畑でした。
長いシベリアからの帰国の道でしたが、「生きていて良かった、良かった」と思いつつ
毎日の夢は故郷の山々とおふくろのぼた餅の味で嬉しくて食事も喉を通らなかった。痩せ
衰えたこの敗残の兵を村人は暖かく迎えて下さったのでした。
もう生きて帰れないだろうと小さな胸に抱きつつこの社を去って行った時とは全然逆に
石段がここでは、弾んで見えたのでした。又かたえには弟を始め従兄や先輩、後輩の青年
兵士達が国の命令に殉じて生きたくも生きられなかったこの人達の運命の碑、招魂碑へ深
く頭を下げるものでした。この社の儀式には通常祭典の外にいつも、招魂祭が合わせて行
われ村の先輩達の慰霊が取り行われて居るのです。今でも除夜の鐘に引き続いて私の初詣
ではこの社で拝む事にしているのです。
「春祭 女宮司の声透る」
「温め酒祭典会議末席に」
975:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 02:14:35 WVD5r2il
勢いをつけないと、何時までも残りを起さずにいそうだったので、取り急ぎ作業して参りました。
34編目および35編目、投下終了です。
34編目は、割愛するつもりだった一編ですが、再考してここに紹介させていただきました。
冊子を貰った時に、爺様の口から地元に大きな池があったことを聞いて驚いた覚えがあります。
俺は爺様の言う所の新住の人になるのですが、生れて喋るようになったくらいには、すでにこの地
に居ました。だけどそんな池のことはまったく記憶にない。
野原や小鮒釣りの小川などは幼少の記憶としてあるのだけど、それすらすでに爺様の原風景から
離れていたようです。
村がやがて町になって住人が増えるにつれ、爺様は一体どれだけ多くの、もう懐古の中にしか無い、
風景を抱え込んできたのだろう。
俺程度の若輩でも、子供の頃飼い犬を連れ(正確には引綱を手放さないように必死に握りしめながら
引っ張られてた)散歩した川沿いの未舗装道を、その川べりのアシの先を抜いて笛にして吹いた事を
懐かしく寂しく思い出すことがあるのに。
爺様が文章書きでよかった、その一部だけでもこうやって記録として残せる。
ではでは
976:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 19:15:28 WVD5r2il
東満の町
さらば大肚子よ (ラボール小唄の曲で) 箏葺 弓六
1)
さらば大肚子よ また来る頃は
戦戈も過ぎ来て 小麦は熟るる
恋しなつかし あの丘あたり
戦友と競へり 早駆けを
2)
さらば大肚子よ 一人の夜は
銃をかまえつ 道哨淋し
恋しなつかし 大肚の街に
あの娘も達者で 居るかしら
3)
さらば大肚子よ あの街恋し
町の角辺に 立ち居る柳
語るも楽しい 兵士の夢を
今も知ってる 芽ばえてる
4)
さらば大肚子よ 思い出小川
一木一草 平和に流る
互にまみえる 時もあらうが
忘れておくれな 語り草
977:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/17 19:24:32 WVD5r2il
37編目、投下終了しました。
興味をもたれた方がいらっしゃったので、替え歌歌詞を紹介させて
いただきました。
36編目は故人の歌を爺様が選出したものだったので、割愛しました。
38編目も同じくだったので、これも割愛します。次の投下は39編目に
なります、冊子の中では長い部類の編ですが、明日にでも投下できれば
と思っています。
ではでは
978:熱湯 ◆NettobIFhI
08/02/18 09:07:51 NzVKUOqG
>>971
くまさん乙ですあるがとー
|∀・).。oO( 残りが少なかったから、感想も遠慮してましたw
979:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/19 00:08:10 Un6XD7DL
すいません、今夜は起こしきれませんでしたorz
2レス分くらいですが、ちょっと作業開始が遅すぎたです。
明日以降、起こし作業を完了させます。
980:八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc
08/02/19 00:22:14 PwiFEirU
いつもありがとうございます。ゆっくりお待ちするのも楽しみですので、じっくりとお願いいたします!
981:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/19 19:03:30 Un6XD7DL
第○○○○部隊の皆様へ(1/2) 箏葺 弓六
戦後もう五十年が過ぎました。兵役の無い日本、経済大国日本と平和な生長を見て、
感慨無量という現実の中に日々を過ごして居ります。兵役の義務を背負って赤紙一枚の
令状から人生がこんなにも狂わされて、生死の助け合い、庇い合いをした戦友諸氏の思い
出を綴り合わせた「戦友会だより」も四十号と続いた。
戦前の若いころ良く浅草の劇場で映画劇場でアメリカ映画の大平原。平原児。シェーン
と広大な平原絵巻やフランス映画の外人部隊、モロッコやペペルモコ(望郷)、ロシア
映画の「どん底」を見て想像していた事がまさか現実に我が身に振りかかって来るとは夢
にも思っても見なかった。
出征を知らされる赤紙令状が来るや当時兵役義務を持つ日本男子として国防の一語の下
に防人となるべく、最愛の妻を置いて親兄弟に別れを告げ青年意気に燃えつつ満蒙荒野に
銃剣をひらめかせ、戦車で野山を乗り廻した思い出はつきない。
満州は広かった。あの山、あの丘、あの野原に白の芍薬とアルプスのお花畑の様な所で
行けども行けども家のない国境の平原だった。その中にあって苦楽を共にする戦友諸君と、
日夜戦闘訓練や自動車、戦車の修理技能訓練に忙しく鍛えられ、北の守りと国境警備に神
経を磨り減らして居ったのです。
982:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/19 19:03:44 Un6XD7DL
第○○○○部隊の皆様へ(2/2)
そんな訓練も本番になってびっくりした事は既に主要な兵器は沖縄へサイパンへ、内地防衛
へと転送されていて東部戦線には大砲はいくらも無かったと、当時のソ連軍大部隊の進入
には抗戦空しく敗戦となり、幾度か死線をくぐりぬけた後、シベリア流刑と人生は狂いに
狂った。極寒と飢えに追われ石炭掘り、鉄道建設、道路作り、伐採、畑仕事の重労働と疲労
に追われ、倒れる兵を庇い合ったのに遂に帰れず、遠い異国の果に墓参もないあの山にも
この谷にも戦友を見送ったのです。幸いにも堪え忍び生き永らへて帰還、戦友達と今の平和
を噛みしめながら靖国の庭に語らい合へる喜びは感無量、夢の様な日々が続いて来ました。
だがもう戦後は五十年懐かしいあの人もこの人もの旅立ちを聞く。あの当時の若い人達も
幾許もなく八十に手の届く人生だもの「皆さん一日でも元気で永らへて最後の一兵まで
戦没者、物故者と靖国の庭へ語りに行かうではありませんか」私もこの戦友会だよりは
家宝として歩ける中は毎年皆様に会いに行くつもりで居ます。毎年四月二十九日午前十一時
靖国神社拝殿へ拝観にのぞんで長い間役員の方々ご苦労様でした。又つたない小生の随筆
でしたがご愛読有り難うございました。 多謝
永い間ご苦労様でした。さぞかし故人も喜んでいることでしょう。 ○○○○
983:791 ◆9zatwGbxuw
08/02/19 19:13:47 Un6XD7DL
39編目、投下終了しました。
楽しんでいただいてきた爺様の文章も、あとがき含めて二編を残すのみです。
次の一編も随筆というより記録に近いものがありますので、今回が最終編なのかも知れません。
36編と1編の概要、2編を省略しましたがそれでも結構な量があったと思います。それが長かった
のか短かったのかちょっと解らなくなってきています。
ともあれあと二編、近日中の投下を予定しています。皆様にはもう一付き合いをお願いいたします。
984:八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc
08/02/19 19:25:30 PwiFEirU
乙です! ・゚・(つД`)・゚・
985:マンセー名無しさん
08/02/20 18:09:08 yuy7Dbhm
本当に乙です。
986:マンセー名無しさん
08/02/20 22:12:26 WIpLJqdx
感謝です。
987:マンセー名無しさん
08/02/22 00:29:34 6a9hEo2Y
>791氏
テキスト起こし本当に乙です
読み応えのあるこの良スレもあとわずかとなりましたが
次スレもきっと良スレになると確信しています