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1953年3月、マッカーシー上院議員は米国政府内の共産主義者を
徹底的に調査した。いわゆるマッカーシーの『赤狩り旋風』である。
そして彼は、ロックフェラー一族が破壊活動の首謀者である確証を得
た。ところが、1954頃より、マスコミを中心として大々的な
『反マッカーシズム』キャンペーンが沸き起こった。
様々な司祭、高位聖職者を含むカトリック教徒も反対運動に参画した。
特にイエズス会は活発な反対活動を実施した。
1957年5月の公聴会の直後、マッカーシーは急激に健康が悪化し、
ベゼスダ海軍病院に入院した。そして死亡したが、死因は不明であっ
た。法律で定められている検死も不許可となった。