08/06/29 12:58:33 b/kG9v1M
>>634
ただ、ローマ帝国が「人口の四分の三までが奴隷」という異常な社会構成に
なったのは、彼らがカルタゴ=フェニキアを滅ぼして以後なんだよ。
そういった奴隷労働を必要とする大規模な荘園制にローマが移行したのは
自分たちが滅ぼしたカルタゴの制度を模倣したからで、(具体的には
カルタゴのマゴの農業書の影響)これは、敗北したフェニキア=カルタゴが、
勝利したローマに自分たちの奴隷制を受け継がせたとみる事も出来る。
(実際の受容に際してローマの親カルタゴ政治家がどう動いたかの史料は少ない)
そして、彼らは自分たちが種を撒いたそういういびつな社会構造を利用して
シシリー島の奴隷反乱(ここはフェニキアの旧領で首謀者もシリア=フェニキアの出身)や
スパルタクスの奴隷反乱(キリキア=フェニキアの海賊の援助があったことが知られる)
などの奴隷反乱を扇動してローマ社会を揺さぶってゆく。そして最終的には、
教義内容から明らかな奴隷宗教とも取れるキリスト教でついにローマを屈服させる。
これをみるとこの世の中の悪は全て彼ら起源であるかのような錯覚も一瞬覚える。
このキリスト教も、のちに欧州の民族宗教化することで(中世以降)
また宗教改革へとつながってゆくのだが。ローマVSフェニキアの争いは
詳しく見てゆくときりがないが大雑把にはこんな感じじゃないかな↓
まず戦争→敗北
反乱を扇動→敗北
宗教で洗脳→勝利