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【ユダヤ分割統治辞典④ 中東の場合 】
前述の旧ソ連邦、南アジア、東アジアなどのケースでは、それぞれ、
ロシア、インド、中国といったかなり大きな「ピース」が残ってしまったが、
中東は、完全にバラバラに分解する事に成功した彼らにとっての「模範例」である。
本来イスラム教という「ひとつの宗教」、アラビア語という「ひとつの共通語」を
持つアラブ民族にとって、「アラブはひとつ」のはずであるが(宗派民族に細かな
違いはある)、現在はエジプト・サウジアラビア・イラン・イラク・レバノン・
シリアなどに分割された上に、さらにイスラエルという「西欧のくさび」を
ど真ん中に打ち込まれた現状は壮絶この上ない。そもそもこの地域は、歴史上の
ほとんどの期間を中国やインドと同様に、統一大帝国が支配してきた地域だった。
アケメネス朝ペルシャ→パルティア→ササン朝ペルシャ,ピザンツ帝国→サラセン帝国→オスマントルコなどなど・・・
民主化の好きなアメリカがこの地域にのみ、金満体質の王室(アラブの王様!)を
いくつも許容しているのは、中東各国の国民の意志による自然な大合同を防ぐためとみられる。
西欧にとって中東は長い間恐怖の対象であった。オスマンの軍勢はウィーンに迫り、
スペインは何百年もイスラムに支配された。彼らがアラブを植民地から独立させ
た時、人為的な「直線国境」を多く引いて、ここまで執拗に分割したのには
彼らの警戒心が反映されている。
アラブはユダヤの分割統治が最も進んだ地域である。