08/05/20 17:18:14 vCF0njKu
沖縄は確かにかつての薩摩のような国家内国家の気風があったが
現実的な選択肢として日本復帰を望んだのは沖縄県民で、
日本復帰運動は自発的・超党派的なもので
外部(本土)からの工作活動や資金援助などはなかったようだ。
日本復帰(1972)後、
沖縄国際海洋博覧会(1975)などの資本投入はほとんど無駄に終わっていた。
公共事業投資は続けたが産業は発展せず高失業率状態が続いた。
喜納昌吉「花(すべての人の心に花を)」が1980年、
沖縄出身者は本土に就職しても突然辞めることで有名だった。
女の子4人組の歌手SPEEDが出てきてヒットを連発したのは1996~、
その後小渕内閣(1998)での沖縄サミット(2000)以降の沖縄はちょっと違う。
沖縄県民が勤勉になったのではなく本土の日本人が堕落して
今はほぼ完全に融和したと言っていいと思う。
現在の若い沖縄県出身者はかつてのように
「ヤマトンチュとは意思が通じない」とは考えていないようだ。
俺の疑問。
二千円紙幣(2000年)には万物を見通す目が描かれているのか?
小渕家は脳梗塞家系なのか?