08/02/20 09:57:57 BnfsB8WK
近年まで残っていた有力な同和地区が形成されたのは安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて、
特に家康が諜報網として彼らの治外法権や職業利権を確保して設置したのが大きい。
要するに街道を監視する見張り番だったわけ。
だから所在地も宿場そのものだったり宿場間の街道沿いだったりする。
解放同盟を「街道」と隠語で書くのも当たらずとも遠からず。
(徳川家の直轄地ではないけど当初は領主が収税権を持たず手出しもできなかったようだ)
それ以外の小規模な被差別地域もいっぱいあったようだが
単に耕作不適合地だったり平家伝説のある山家の集落だったりで集落の性格が異なる。
ユダヤ云々はあんま関係ない。