09/10/02 00:29:47 0dN1Akfd
376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 01:48:56 ID:sg9zsB22
白州次郎と現在の日本
白州はセール・フレイザー商会取締役を経て、
日本食糧工業(日本水産の前身)取締役となり、
仕事先の英国で駐英大使時代の吉田茂と出会い親交を深めた。
白州は51年5月に東北電力会長に就任、
以後、大洋漁業、日本テレビの役員、そして
当時英国を代表するユダヤ系投資銀行であったS・G・ウォーバーグの顧問になっている。
377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/02(金) 00:23:20 ID:1TVFYUNz
次郎のもう一つの顔があります。
それは外資系企業の代理人としての顔です。
日本の電力会社が9分割されたときに次郎は、東北電力の会長に就任します。
このときに英国系商社のジャーディン・マセソンのために福島の只見川の水力発電所建設計画を流しています。
次に日本製鉄が八幡製鉄、富士製鉄など四社に分割されたときに動いています。
月産1000トンの高炉2基を持つ最新鋭の広畑製鉄所は、富士製鉄に返還されると見られていました。
それを次郎は、ジャーディン・マセソンと合併させようとしました。
次郎は吉田首相にも根回しし、話を進めました。
これに激怒したのが、富士製鉄社長の永野重雄でした。
永野は「広畑を取れなければ腹を切る。将来の日本の経済のため、製鉄業を外国資本に任せられるか」と工作し、
ぎりぎりで阻止することに成功しました。