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ヴェネチアからロンドンに移動した金権寡頭権力
ディズレーリの『コニングスビー』によれば、ハノーバー王朝期
(1714年、ジョージ一世以降)の英国は、ヴェネチア共和国の
憲法を丸写しにしてつくられた。
ヴェネチア → ハノーバー朝英国
ドウーチェ → 王(女王)
十人評議会 → 内閣
貴族大評議会 → 上・下院
ヴェネチアは、その頂点に約300の金融貴族階級が君臨する
金権寡頭権力体制(プルート・オリガルキー)だった。
ヴェネチアは、キリスト教ヨーロッパ社会とイスラム世界の商業貿易
金融の独占を志向した。しかし、コロンブス以降の大航海時代の開幕は、
ヴェネチアの地政学的優位を終わらせた。
ヴェネチアの黒い貴族は、いち早く拠点をヴェネチアからロンドンに移す
計画を立て、16世紀初頭からほぼ200年かけてハノーバー朝を成立させた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
イギリスの国章
URLリンク(anthill.hp.infoseek.co.jp)
ロスチャイルドの家紋
URLリンク(www.boj.or.jp)
日本銀行のシンボルマーク「めだま」
URLリンク(www.cc.matsuyama-u.ac.jp)
右の像は、法を象徴する女神で、右手に持っている杖(つえ)の先には
理性の目が輝いており、左手は碑文を指している。