07/07/21 03:26:18 z6PT6bQD
>>428
したがって、こう説明すれば一番わかりやすいんです。
敗戦後、わずか六年で日本が国際社会に復帰できた最大の理由は何だということなんです。
イラクが湾岸戦争に敗れて十年以上たっていますけれども、国際社会に復帰するというのは
容易じゃないです。まるでモーゼの十戒の海が割れるように、日本にとっては僥幸にも近い
タイミングで中国が二つに割れた。そのことによって今申し上げたようなシナリオが浮上してき
た。それが五一年、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約というシナリオの下地に
なった。
さらに、こういう言い方をすると一番意思が伝わるかと思うんですけれども、もし戦後の中国を
蒋介石がしっかり掌握し続けていたとしたら、日本の戦後復興は三十年おくれただろうと言わ
れています。なぜならば、アメリカのアジアに対する投資も支援もすべて中国に向かって、
戦後のアジアは戦勝国の中国とアメリカによって仕切られていった、日本の戦後復興の余地
はかなりおくれただろうというふうに、これはもう一つの常識みたいな話です。つまり、間隙を
つくように日本の戦後復興の可能性というシナリオが浮かび上がってきた。
松本重治さんという有名な国際問題の研究者がおられましたけれども、戦前、一九三〇年代
の上海でジャーナリストとして活動して、六本木の国際文化会館なんかをつくった人ですけれ
ども、彼はなぞ解きのような言葉を実は残していまして、後進に対する教訓ということで、
日米関係は米中関係だという言葉をくどいほど言い残しているんですね。それは何を意味して
いるかというと、日米という関係は二国間関係で完結しない、中国という要素が絡みついて
いるということを言いたかったんですね、彼は。
事実、そうなんです。この過去百年間の日米中の関係史を分析すると浮かび上がってくること
ですけれども、日米関係の谷間には常に中国という要素が絡みついている。ところが、戦後の
日本人は、幸いなことと言えると思うんですけれども、このことを忘れていられた。(中略)