これからの世界について考えるスレat KOKUSAI
これからの世界について考えるスレ - 暇つぶし2ch210:おっ ◆CmP0snqb9o
08/10/08 00:06:23 WGHBoy0m
今の自分の範囲内で、少し考えたことをまとめてみる。
周りの正しい評価のし方が、全体的に多数の人間の成長の度合いを左右する。周りが正確な評価をすればするほど、人の成長を促すのだと思う。
例えば、賢いけど無愛想な人間と、正直頭は良くないけど愛想よい人間がいた場合、好き嫌いの判断で全ての人格を決定してしまうなら、後者の人間の方が明らかに人気があるだろう。
愛想よく賢い人間ってのはかなり成熟した賢人であろうと思う。そこまでの習熟段階に、正しい評価があったなら、そういう部分が足りていないことが自覚出来る。認められる材料として必要な素養として愛想よさがあるとするなら、明示した方が分かりやすい。
これを、好き嫌いの二択で決定してしまうと、今足りない部分が分からない。前者は愛想よさを鍛えるべきであって後者は学問か何かで自己の成長を計るべきであり、どちらが正しいという判断の仕方は不可能なのだと思う。
日本人には、目指すべき賢人(イメージ)がいない。日本は圧倒的多数派の中間層が社会を動かしがち。目指すべきところが無く、一応中間層としていられることに安堵感を抱こうとし、それに反する人には自分達とは違う人間という扱い方をする。天才だとか鬼才という物の見方。
海外は、賢人に尺度を合わせようとする。凡人は、賢人になろうと努力をする。ここが大きな違いだと思う。仮に、精神が発達していて尊敬されるべき人間と、そうでない大多数の人間が居た場合、日本では大多数の人間の精神レベルに文化を合わしてしまう。
大多数が力を持っているから、正当に頑張って勉強した人間には『がり勉』という評価の仕方をし、その人物も成功してしまえば、『天才』という一言で評価を済ましてしまい、そこから学ぶことはせず自分とは違う人間だと決め付ける事で結論づける。
賢人になろうとする努力を大多数の人間の目指すべきところで無いのは、賢人が気取り屋という評価に変わりやすいからかもしれない。
人を評価する時に、嫉妬や妬みが日本人にはあり、むしろおバカで正当に努力しようとする健気な人間を好みやすい部分は、人を正しく評価するという点で大きな妨げになっているように思う。


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