09/01/05 13:04:09 5JUewNwR
本題に戻ると、グルンヴァルドではハンザ同盟やプロイセン連合といったドイツ人の商工民(ブルジョワ)や、
チュートン騎士修道会に属さないドイツ人の僧侶はみんなポーランド王国を支持した。
その半世紀後にプロイセン連合は正式にポーランド王国に加盟する。
たとえば、ハンザ同盟&プロイセン連合の都市であるトルンで生まれ、東方ドイツ語が母語のコペルニクスが
ポーランド人で、ポーランドのクラクフ大学でポーランド人としての教育を受けているのはそのためだ。
あの地方ではチュートン騎士団に属さないドイツ人はみんなポーランドがよかったという事実ぐらいはちゃんと覚えとけよ。
理由はポーランドが20世紀のアメリカのように自由で豊かで寛容な国だったからだ。
ポーランド人にポーランドの各地方の部族だけでなく、ドイツ人、リトアニア人、ルーシ人、チェック人、
スコットランド人、オランダ人、デーン人など、多くの民族が混血しているのはそのためだ。
ポーランドとドイツが民族的に分断していった端緒はポーランド消滅後しばらくして、
ナポレオン戦争にケーニヒスベルクが巻き込まれて当地のドイツ人の商工民(ブルジョワ)に
民族意識が高まってからなんだよ。詳しくは自分でいろいろ読め。
いずれにせよ「邪悪な全体主義者の暴力集団」であるチュートン騎士団やナチス、そして共産主義者と戦うのは、
諸民族の救世主たるポーランドが負った崇高な使命であって、
ブレジンスキーはその伝統的な「正義のために戦うポーランド人」の典型なのね。
彼はやっぱり「ジェチポスポリタのシュラフタ」なのよ。「タデウシュの子供たち」の一人なのさ。