08/12/14 11:47:18 c3GZ4Xn2
>>132
イランはブレジンスキーと対立していた国務長官のサイラス・ヴァンスが関わっていたから。
ヴァンスのイランに対する宥和姿勢のおかげでカーター政権が危機に陥り、
ブレジンスキーはカーターを説得してヴァンスのクビを切らせ、
かわりにポーランド人のエドマンド・マスキーを国務長官にした。
これでカーター政権内にポーランド人による完全支配体制が確立されたのである。
これは民主党にポーランド人勢力が確固たる地位を占めたことを意味する。
この当時、奇しくも
ジェフリー・アーチャーにより『カインとアベル』が出版され、
ヨハネ・パウロ2世がポーランドを訪問し、
自主管理労組「連帯」がポーランドの民主化運動を本格化させる。