09/01/30 19:05:00
1946年 極東軍事裁判(東京裁判)
BC級戦犯で最も多く裁かれたのが、非戦闘員に対する残虐行為の罪だった。
しかし、大半の兵士にとって、それは軍命令の実行であった。
裁かれた戦犯の多くの遺書には「祖国のために尽くした結果である」と書かれていた。
裁判長「被告は有罪か?無罪か?」
被 告「絶対に潔白であります。絶対に(殺人を)やっておりません!」
橋下和正氏の叔父は、マレー半島で中国系住民を殺害したとして、1948年にクアラルンプールで処刑された。
当時の裁判記録を読みながら否定できない過去を重く受け止める。
なぜ叔父は「自分は潔白だ」と言ったのか?
マレー攻略を担った第25軍 華僑工作実施要領:「服従を誓わざる者に対しては断固その生存を認めざるものとす」
日本軍のこの方針によって、中国系住民に対する組織的・常習的な粛清・殺戮が始まった。
60年以上たった今日でも消えることのない深い悲しみにを語る生き残った人々。
裁判記録、軍の資料、証言、陣中日記などから当時の様子を再構築する。
戦犯は、何を思い、何を考え、何を伝えようとして処刑されていったのか。
BC級戦犯 ~罪に向き合うとき~ -前編-
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BC級戦犯 ~罪に向き合うとき~ -後編-
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