09/02/11 00:49:46
1989年11月9日。
28年間、東西分裂の象徴であった“ベルリンの壁”が崩れた。
100年間は続くだろうと言われていた“壁”が崩壊した筋書きに、
ハンガリーが大きな役割を果たしたことは、あまり知られていない。
『ヨーロッパ・ピクニック計画』
それは、ベルリンから300km離れた、名もない小さな町から始まった。
東ドイツの国民は、ハンガリー経由で西側諸国への脱出に成功したのだ。
この極秘計画の中心的役割を果たしたのが、当時のハンガリー首相ネーメトであった。
国家体制維持をとるのか?
民主主義・人権・人道をとるのか?
東ドイツ首相ホーネッカーとハンガリー側の激しいやり取りが続いた。
やがて、ネーメトはある決断をする。
ヨーロッパピクニック計画 ~こうしてベルリンの壁は崩壊した~
前編 -45分-
URLリンク(www.megavideo.com)
後編 -45分-
URLリンク(www.megavideo.com)
--余談--
このドキュメンタリーは、私の最も好きな作品の一つ。
ギムニッヒ城で、西ドイツのコール首相が、言葉を詰まらせながらネーメトに
語りかける場面は胸が熱くなる。 民主主義・人権・人道、そして平和。 これがいかに大切であるか。
直前までソビエト共産主義を擁護していたサヨクやアサヒが狂った言説、インチキリベラリズムを撒き散らす今日こそ、あらためてその意義と価値を認識したい。