09/09/21 14:57:37 6jXIExubO
>>528-529 >>532
>>534の>>535の続きです。
1989年の入院していたその十代の子供たち2名の消息状態が後にどうなったか。
この子たちが相談した内容は今でいう不適切な接触光景でした。
しかし私は一切、話しを聞くだけでした。
子供たちは他職員、先生身内などへ話していたかもしれません。
当人この研修医はこの事をイジメられたと伝えていました。
そういう風に見えるタイプなので違うと言いたかったのでしょう。
しかし、親か兄代わりだとその特定の子供にだけ肩をかけ、身体接触する姿を頻度見かければ、それは不適切な接触にしか見えません。
十代の子供たちなら相談や指摘などは当然行います。姉にあたる年齢なのだから。
この1989年、研修医だった知人の医師は、学生時代、同級生からも、可愛い女の娘や美人へやたら接触したがるとの注意がありました。
またその注意者とは、繋がりが無い、当時は女子高生だった子たちが、
「一対一で付き合うと気付かないかもしれないけれど、うちの叔母さんが言うにはあの人には気をつけなさい」との注意が、あったそうです。それ以外にも。
だからその子供たちをあの時点恨むなどこの研修医の間違いです。目立つような可愛い幼い子供のみへの身体接触、それは不適切な接触にしか見えない場合が多い。当時は十代。姉の年齢の立場から指摘する側となるのは当然です。
そして学生時代、私への身体への接触も、始め【強要】でした。その後、同意するよう説得していた。今、振り返れば、望ましく無い。例えば同じ状況が若い娘へ起きるとしたならば。
今、
振り返れば、大量出血した事、婦人科、産婦人科へかかる話しはその人へ脅かしとなっていたのですね。当時は、都合のいい身体にされたままでは、もて遊ばれたという事になるので、否定するため、大量出血や婦人科、産婦人科へかかる話しをしたのですが。
これら含め、
当時、十代だったのその子供たちをその時点、恨むなども お門違いも、いいとこです。
この子たちの身も案じています。この事は明らかに相談、通知、通告します。
時間はかなり経っていても話さなくてはならない事と、不信な経過を感じます。