09/09/20 16:12:24 HiV3Oyf+O
1989年の食堂での話し。
子供たちは困り悩み話していた。
私は大量出血があったために産婦人科、婦人科の話しをした。
それを邪魔されたと、いつか子供たちや私へ仕返しすると、
私たちの身内へ仕返しする事も可能な立場だと。
カルテを使い、人を使い。
注意指摘した上司も同僚、先輩に対しても可能だと1989年、食堂で。
そして県内の医療機関で私のふた従姉妹を担当していた。確か9年前ぐらい。
不安で怖くてたまらなかった。
その事を身内の一人へ相談した。
ここ最近の数年前、ふた従姉妹は県外の病院へ移動したが、
移動してすぐまるでイジメ状態のトラブル対人関係で、そのこのお母さんは人格が変わっていた。
その数年前から穏やかだった性格が。
移動する際、カルテや電話などの伝達で、何と伝えたのかと、
1989年の食堂での脅かし明らかな脅迫からそう思った。
兄弟に子供が生まれた。
不安でたまらない
その脅かした者が、その職業、免許を持つ限り。
1989年、その当時のその困り相談した十代患者2名、その後どうなったのかと気になった。
この事を相談も訴えもせずに来た自分が情けなくてたまらない。
後、15年間、不安でたまらない。