08/05/16 02:12:44 vSR5T+or0
ついでにマルキ・ド・サド婦人に関する三島の戯曲について書こうか。
あれはサドも侯爵夫人も、どっちもどっちとして描かれてるんだよ。
侯爵夫人の側は、中世キリスト教の古臭い旧世界の女で、
サドは、のちに神を殺すことになるニーチェの先駆けにもなる人であり、
つまりアンチクライストなんさ。
で、アンチクライストのサドは、敬虔な妻に対して、
「キリスト教は、政治が庶民を統治するために導入したご都合主義的な道具にすぎず、
お前の信仰心などは、幼稚かつ陳腐で、たいへん人間性を冒?かつ否定するものなのだ」
という主張を、エロ小説を書く、というやり方で展開したわけだ。牢屋の中から。
それに対して侯爵夫人は、まあ旧時代のバカ女だから、夫が牢屋に入れられるのを
耐える妻、という、いわゆるキリスト教的な受難に酔いながら、
夫が牢屋に居る18年を過ごすわけさ。
逆に言えば、つまりサドが牢屋から出ちゃったら、夫人の酔いも醒めてしまうので、
もう修道院にでも行くしかないわけです。
つまり、アンチクライストであるサドは子供っぽい「偽悪者」だったのに対して、
キリスト者である夫人は「通俗的な偽善者」だった。
というのが、あのお話だよ。ほんとキミら、まったく分ってないね。