08/03/28 22:53:44 OChgDTfHO
若いときの思い出
僻地の公立病院で毎日必死で働いていた。
月の半分以上は病院に泊まり、専門だけでなくソファーで仮眠だけして救急もカバーしてた
残業や超過勤務は計算したら莫大なものになるが、そんな手当は認められることもなく決して収入は
増えることなかったが患者さんの為、そして自分がこの地域の医療を支えているという思いがあり、毎日凌いでいた
ある日、心肺停止の患者がきて、挿管し、レスピにつないだ。
その日からは毎日泊り込みでほとんど一睡もせずに夜間救急とこの患者さんのカバーにあたっていた
そして奇跡的に7日後に意識が戻り抜管し、やがて元気に退院した。
1ヵ月後家族が面会を求めて、やってきた。
おれはお礼を言いにきた、と思った。が、違った。
家族:「うちの母が退院後のどの違和感を訴えていました。
我々も本で調べてみましたが、あなたが同意もなく気管にいれた管のせいで、のどが傷ついた可能性がありますね。
しかるべき説明と謝罪をしていただきたい。 当然、それなりの慰謝料や賠償についても請求します。」
病院は手間のかかる裁判を嫌がり、和解し賠償金を支払った
苦虫をかみつぶしたような顔をした院長からは始末書と詳細な報告書の提出を求められ小一時間、小言を言われ続けた
その翌日、俺は市役所に呼び出され椅子にふんぞり返った助役とその取り巻き連中に長時間、叱責された
当然、俺だけ立ったままさ・・・ その時、俺の心の中で何かが吹っ切れた
今まで俺がやって事はなんだったんだろう?
消えてゆく命を救うために必死になってやってきたことがこれか?
俺は全てが虚しくなり、その3ヵ月後にその病院を辞めた
あの頃は自分の人生を削ってでも人を助けたい、助けた先には笑顔と感謝があるなんて馬鹿げた事を本気で信じていたよ
ファーストキスはレモンの味だとか夢見る少女とかわらねーなw
そうそう、俺への扱いを見て同僚も時を同じくして何人か病院を去り、その病院は救急をカバーできなくなり救急と一部外来を閉めた
そして毎晩押し寄せていた救急患者は近隣の病院へ・・
そしてそこもほどなく救急から撤退しドミノ倒しのようにその地域からは救急病院は無くなった 良くある話さ