08/02/17 12:29:17 dj2HjKVW0
>>41続き
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「救急患者を断るな」。この原則を徹底している病院がある。
年5千件の救急搬送を受け入れる洛和会音羽病院(京都市山科区)。救命センターではないが、重篤患者から軽症者まで対応し、
この2年で断った搬送は2件しかない。経営も黒字だ。
院長の松村理司(ただし)(59)は30年前、勤め先の病院で「救急患者は上手に断れ」と指示された。
「救急を受けると院内がドタバタするんや」。納得がいかず、飛び出した。
沖縄や米国の病院で修業。そこで学んだのは、あらゆる症状を的確に診断し、治療する総合的医療の重要性だった。
04年に院長に就くと、大学の医局に何度も断られながら、少しずつ救急医を増やした。各科の医師の当直を月1~2回に減らし、
当直明けの医師を帰宅させることで、それぞれの科が専門分野に力を注げる環境を整えた。総合診療科も拡充して救急医を支え、負担を和らげた。
それでも現状を憂う。「日本には幅広い診療ができる医師が少なすぎる。将来を担う救急医を育てる教育が現場でなされているだろうか」
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今月2日、大阪市内のホテルに老若の医師が顔をそろえた。日本の救命救急の先駆けとなった大阪大医学部特殊救急部の同窓会。
67年の発足時、初代教授に就任した阪大名誉教授の杉本侃(つよし)(75)が現役組に語りかけた。
「君たちの重要性は理解される。その時まで何とか生き延びてくれ」
交通事故が社会問題化し、杉本らは手探り状態で救急部を立ち上げた。多忙な状況は今と変わらない。ただ、「当時は希望があり、
世間の称賛があった」と振り返る。危機的な救急医療を立て直す必要性に国民は必ず気づく、と信じている。
初対面の医師が患者の生命を預かる。そんな救急医の誇りが、この国で失われかけている。命を救う側と救われる側。ともに歩む線上に、
処方箋(せん)がある。 (敬称略)=おわり