08/02/17 12:28:21 dj2HjKVW0
救急存亡(5)「苦闘」 理念実現 まだ手探り
URLリンク(www.asahi.com)
突然の指示に耳を疑った。「墨田、江戸川、江東3区の救急車を全部引き受けてくれ」。石原慎太郎・東京都知事の発案で始まった
「東京ER(救急室)」構想。その第1号として、救命救急センターを併設する都立墨東病院(墨田区)に白羽の矢が立った。
適切な治療ができず患者が命を落とすことがないよう、軽症・重症を診る「救急診療科」と、生命の危機に対応するセンターが
一体となって全患者を引き受ける。センター部長の浜辺祐一(51)は当時、戸惑いながらも「住民が安心できる救急医療をつくる好機」
と感じたのを覚えている。
■
01年11月、ERがオープンすると患者が殺到。待合室はごった返し、苦情が増えた。混乱解消のため、浜辺はセンターの救急医を4人増やし、
ERのコーディネーター役とした。当直は各診療科の医師が交代であたるが、現場に救急医は欠かせない。複合的な病気の診療、
患者の苦情対応、急患を敬遠しがちな各科の医師との調整……。
3区すべての救急対応は不可能だったが、救急搬送はER開設前から3千件増えて年9千件。救急外来には5万人近くが訪れ、
この年末年始も4時間待ちだった。
耐え切れない医師は次々に去った。退職で空いた穴が埋まらない診療科もある。浜辺もひと月に6回の当直をこなす。
診療所で対応できる患者も押し寄せ、重症者を断ることも多い。「すべての患者を引き受ける」という当初の理念とは逆に、
地域の救急病院や診療所との役割分担が必要と思う。