08/01/07 12:37:10 v+sXnnoY0
>>582
例えば、意識が清明であって正常だというのは、
覚醒している一定の時間において、ランダムな周囲の刺激に対して
臨機応変で合理的な対処ができる、ということが言えると思いますが、
「臨機応変」「合理的」というところに曖昧さが残されているわけです。
精神状態の記述は、どうしてもこのような曖昧さが残ります。
これは神経活動という自然現象の上に多様な個人的文化的修飾を受けている
精神活動を、言葉という有限のツールを用いて切り取る限りにおいて、
避けられないことだと考えられます。
一方、十分に正常であると言えるならば、自己をモニターする、客観視して
修正する能力が機能している必要があるでしょう。
つまるところ、曖昧なことを判断するときには、自分をモニターする機能を
働かせておくことが必要であると思われます。
怠惰や疲労、自己欺瞞などで、自分をチェックし修正しなくなった時点で、
判断の正常さは担保されなくなると思われます。