07/07/19 16:15:51 JiOLoPA80
自己レス
1600年(慶長5)の“関が原の戦い”では、信幸は東軍徳川家康方に、父昌幸・弟幸村(信繁)は西軍石田三成方に別れ、東軍勝利。
信幸は父の上田領と加増も合わせ、9万5千石の大名となり、名を信之と改める。
“大坂夏の陣”(1615年)の翌年(元和2)、信之は上田城に移り、庶子信吉が真田氏2代藩主となり、沼田真田家は別家として存続する。
1681年(天和元)、5代城主真田信利(信澄)の時、表高3万石から14万4千石への検地を行うなどの暴政と江戸両国橋架け替えの
用材調達の遅延を理由として改易され、翌年、城は破却され、堀も埋められた。
暫く天領となるが、1703年(元禄16)、本多正永が3万5千石で入り修築されたが、本格的な復興はなされなかった。
本田氏3代の後、再び天領となり、その後、黒田氏2代、土岐氏12代と続いて幕末を迎えた。
だそうです。