06/07/12 21:58:19 840k7pXe0
俺は医学生・研修医時代、人のためになる仕事をすれば、人に感謝されると信じ切っていた。
そして、そのためには自分の身をすり減らしても構わない、とも思い込んでいた。
でも、気付いたんだ。
医療や福祉などの人を助ける領域で、本当に感謝されている人がどれだけいる?
感謝の言葉なんて上辺だけ。本当の気持ちは、真実の言葉は、不平や不満にこそ表れる。
人助けの報酬は、「信頼」や「感謝」なんかじゃない。
助けられる事を当たり前と思う人々の「怒り」と「不満」、その結果としての「迫害」こそが、
人助けがもたらす真実のもの、本当の結果だ。
人は助けを必要とすればするほど、人への要求は強まり、叶えられなければ不満に変わる。
精神的な欲求・金銭的な欲求・身体的な欲求。その全て、叶えられなければ、「人のせい」だ。
人は金や名誉や責任を持たなければ持たないほど、飛躍的に人への依存度は高まり、
同様に人への欲求(=叶えられない不満)の度合いも飛躍的に高まる。
つまり、医師を続け、困っている人を救うほど、自分の専門性を高めるほど、
人助けの量と質を上げれば上げるほど、リスクは飛躍的に上昇する。
不平・不満はやがて、苦情となり、苦情はやがて訴訟となる。
そして、時には訴訟を飛び越え、医師本人や家族への直接的な暴力被害につながる。
この流れには逆らえない。
時とともに、人々の要求度は更に増し、夜間救急などの医療従事者への精神的・肉体的迫害もさらに加速度的に増すだろう。
でも、大部分の医師は、医師を続ける限り逃れられないって、気付いたんだ。
「臨床」という名の泥沼からは。