09/07/14 02:10:42 eT/dFtKuP
雨浮徒
乱世の時代において、有力な武将は必ず忍びを用いていた。
忍びには根来・雑賀・乱波など様々なものがあり
その中の1つに雨浮徒と呼ばれる集団があった。
雨浮徒は肉体を鍛え上げることで甲冑を着けての集団戦に優れており
また衆道に長けた者も多かったため、各国の武将は雨浮徒を求める事が多かった。
このため、雨浮徒以外の者が仕事を得るために雨浮徒を装う例もあった。
しかし、雨浮徒達が編纂した律名鑑には
彼らは任務の際に自らが雨浮徒であると発覚した場合には
里を追放されるという非常に厳しい掟について記されており
本物の雨浮徒は雨浮徒とは名乗らないため
現在残っている雨浮徒の逸話のほとんどは偽の雨浮徒と思われる。
偽雨浮徒で有名なものとして
・只之(一説には南蛮で修行したとも言われる)
・代某(短筒で暗殺を行った。亀を用いた術も使ったらしいが術の詳細は不明)
・端之(全ての気配を消して任務を行えた)
の3人が挙げられ、現在の調査で彼らは関東の狸峡衆だったことが判明している。
なお、偽の雨浮徒の記録は明治時代にも残されており
この者は兎のように跳ねる特技を持っていたようである。