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中国の人口増減の基本的サイクル
1.建国期 新しい王朝が建国されたときは、人口は少なく、政府は一般に
税金を安くして民を休めるという「小さな政府」の政策を進める。その結果、
農民を中心とする中国の人口は急激に増え、太平の世の中となる。
2.繁栄期 人口増加の結果、税収が増える。この豊かな財政を背景に、
王朝は、大規模な土木工事や領土拡張など積極的な政策を行い始める。
ただし外見の繁栄とは裏腹に、民の負担が増えるため、生活は悪化する。
また農地の開拓は一般に人口増加に追いつかないため、農民一人あたり
の可耕地面積は減少し、世代がくだるにつれて生活環境が悪化する。
ちなみに、儒教思想が徹底していた中国は、江戸時代の日本と違い、
兄弟による均分相続が行われていたため、農地は細分化され易かった。
3.衰退期 建国後おおむね十世代ほどで一人あたりの食糧供給量が飢餓線
のラインに近づき、社会不安が広まり、農民反乱が頻発するようになる。
はじめは反乱鎮圧などの政策が奏功するが、いずれそれも無効になる。
4.交代期 王朝政府の支配力が弱まり、地方政権・地方軍閥が半独立状態
となる。戦乱が起こり、王朝は滅亡する。人民の大量死亡と出生率の激減
の結果、人口崩壊が起こり、人口は減少して適正ラインにまで下がる。
そして新しい王朝が勃興し、サイクルの最初にもどる。新しい王朝の支配
階級は、多くの場合、前王朝末期の農民反乱グループなり軍閥なりの一つ
であるか、あるいは、混乱に乗じて入って来た異民族集団である。